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サンゴリアスをもっと楽しむコラム

2015年11月23日

「少年サンゴリアス」Vol.52 仲宗根健太『小澤さんとずっと一緒』

「少年サンゴリアス」Vol.52 仲宗根健太『小澤さんとずっと一緒』
 
 
サンゴリアスのチームメートである小澤さんとは、僕が中学1年生の頃から今まで、ずっと一緒です。桐蔭学園中学校に入学して、ラグビー部に入った時の1つ上の先輩に小澤さんがいました。小澤さんが高校に入っても、附属高校なので同じグラウンドでやっていますし、本当にずっと一緒なんです。お互いのお父さん、お母さん同士も仲が良いですしね。
 
それで小澤さんの話を続けると、その頃の小澤さんはバックスでスタンドオフをやっていましたが、ガリガリで今の小澤さんとは思えないような、フィジカル系の選手ではなかったんです。それが高校3年生ぐらいの時に、筋肉がいきなりボン!ボン!ってついてきて、メチャクチャデカくなって、そこから今に至るフィジカル系の選手になりました(笑)。
 

どうしてそんなことになったのか。桐蔭はウエイトトレーニング施設が充実している上に、中学、高校ともに相当に力を入れていて、高校の時にはウエイトメインの日が週2日ありました。そこで真面目にやらない人もいましたが、小澤さんは真面目にやっていて、凄い身体になって、僕たちの学年では「小澤さん、どうしたんだ!?」「僕らも高校になるとあぁなっちゃうのかな?」みたいに戦々恐々としていたぐらいです(笑)。僕も結構ウエイトは好きだったので、真面目にやった方でした。
 
僕はもともとある程度身体が大きくて、中学に入学した時に、もぅ176cm、今と3〜4cmしか変わらなかったんです。体重も85kg以上あったので、中学生の時は相当余裕を持ってラグビーが出来ていました。その時はセンターでした。こういう性格なので天狗になるとかはなかったんですが、デカくて、相当、楽しかったですね。そこから身長はほとんど伸びてないんですけれどね(笑)。

『ファーストプレーでトライ』
 
僕のお父さんがラグビーをやっていて、生まれた時からお父さんが監督とかコーチをやっていたので、大学のグラウンドに連れて行かれたりしていました。
 
お父さんがコーチングしているチームの試合を、幼い頃から見たりしながら、ラグビーにはずっと触れてきました。小学3年生からラグビーを始めたんですが、初めての練習に行ったらいきなり試合の日でした。そしてキックオフのボールが僕のところへ飛んで来て、ファーストプレーでトライをしたんです。お父さんが教えているところを見ていたので、小学生の中ではラグビーを相当分かっていたんじゃないかなと思います。
 
小学1〜3年まではサッカーばかりやっていたんですが、体がデカいこともあって、その時からラグビーが楽しくなって、のめり込んで、そのまま4、5、6年と「ラグビー、ラグビー」となっていきました。
 
お父さんは僕が小学校1、2年の頃も、専修大学のコーチをしていました。NTTコミュニケーションズの馬屋原さんはその時の選手で、いまサンゴリアスのグラウンドに来る子供たちみたいに、当時凄くかわいがってもらっていたんです。ですので、いま試合で対戦したりすると、「健太! 健太!」っていう感じで(笑)、「こんなおっさんになっちゃって」なんて言われながら、未だに可愛がってもらっています。

『机に座るのが大嫌い』
 
高校2年生の時に膝を怪我してしまって、半年ちょっとラグビーから離れて、やりたいけれどやれない、という時期を過ごしました。復帰してからも、復帰直後は思うように体も動かなかったので、ここからまた頑張らなくちゃいけないな、と思いました。それまではどちらかというと、イケイケな感じだったので、そんなことを思ったのは初めてのことでした。
 
中学、高校、大学と全てでキャプテンをやっていたんですが、自分が決めることではないので、なぜそうなのかは正直わからないです。でもキャプテンばっかりいるサンゴリアスというチームに来て、いま振り返ってみると、もっとこういう風にしておけば、また違う結果になっていたかな、と思いますね。いま思うと、もっと出来たな、と思います。
 
ラグビーが凄く好きだったので、怪我をした時も、くさらないで充実しているウェイトルームでやってやろう、って思っていました。練習に対して真面目だったので、そういうところを皆から見られていたのかなとは思います。復帰戦は神奈川県の花園予選の決勝でした。
 
高校で教えて頂いたのは藤原先生という方で、今は優しい監督と幸太朗(松島)なんかも言ってますが、僕の時はメチャクチャ怖くて、足も元ウイングで速かったので、一般の生徒が悪さしたら、走って追い掛けて捕まえるというような、本当に怖い先生でした。僕がキャプテンをやっていた時も、「なんでお前は仲間にもっと強く言わないんだ」と言われて怒られたことを、鮮明に覚えています。
 

親にはあまり怒られませんでしたが、小学校3年生からラグビーを始めて、中学校で部活動であるところがあまりないので、受験をしなきゃいけなかったんですね。僕自身が「中学受験したい」と言って始めました。でも最初は机に座るのが大嫌いで、ぜんぜん集中していませんでした。
 
それで時間を無駄にしていた時に、お父さんに「やるならしっかりやった方がいい。もったいない。時間の無駄だよ」と言われたことをよく覚えています。「確かに言ってることは分かるけど」みたいな感じでしたが(笑)、「やる時は、やる」という教訓になりました。

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