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サンゴリアスをもっと楽しむコラム

2015年10月26日

「少年サンゴリアス」Vol.49 小澤直輝『マリンバ』『親父との喧嘩』

「少年サンゴリアス」Vol.49 小澤直輝『マリンバ』
 
 
少年の頃から運動が好きでしたが、僕自身、今ほど活発ではなかったと思います。習い事をたくさんしていました。水泳、サッカー、英語、書道、マリンバ。うちにマリンバがありました(笑)。
 
親もやっていませんし、なぜマリンバをやったのかは覚えていないですが、親は音楽系をひとつやらせたかったようです。姉はピアノをやっていたんですが、僕はなぜかマリンバをやりました。
 

うちの母親はバレリーナだったんです。親父はずっと野球で、大学までやっていたそうです。母親は今は自分のバレエスタジオを持っています。「髙澤加代子モダンバレエスタジオ」というところで中央林間にあります。地元はずっと神奈川です。姉はバレエをやってましたが、母親が男の子にはやらせたくないということで、僕はやりませんでした(笑)。
 
習い事の中で、サッカーはそれほど好きじゃなかったんですが、水泳は好きでした。書道は嫌いじゃないですが、あまり成果は出ず、字はそんな上手くないと思いますし、英語も同じくです(笑)。マリンバは学校の行事で弾いたりしました。
 
小5くらいまではすべて続けていました。いろいろ価値観を広げられたのが良かったのと、水泳では肺活量に良い影響があったかもしれません。

親父は僕になぜか絶対に野球はやらせたくなく、ラグビーをやらせたかったようです。家にラグビーボールがあったんです。それで中学に入ったらもうラグビーをやるもんだと思っていました。完全に親父の作戦勝ちです。
 
相撲が好きでよく大相撲を見に連れていってもらっていましたが、ラグビーは見に行った記憶はありません。中学にラグビー部があることは受験前に知っていましたが、入ってなぜラグビーをやることになったのかは、いまいち分かりません。とにかく小さい頃のイメージが、影響していたんだと思います。

『親父との喧嘩』
 
ラグビーでは最初バックスをやっていて、あまり器用なことは出来なかったんですが、体を当てることには抵抗もなく、気がついたら中3の終わりぐらいにフォワードになっていました。
 
ラグビーはチームプレー感というか、中学生でみんなとワイワイやっているのが楽しかったんだと思います。練習が終わってもグラウンドに残って遊んでいたり、休みの日に練習があれば帰りに皆で一緒に行動したりとか、そういうのが楽しかったんだと思います。
 
親は基本的に厳しかったです。日常のことは母親が厳しくて、大きなことは父親でした。年に1回ぐらいは親父に思いっきり怒られたりしていました。小学校へは電車で行っていたんですが、電車じゃ間に合わないとだだをこねたことがあって、そうしたら親父が出て来て思いっきり怒られて、泣きながらダッシュして駅まで行ったら余裕で間に合ったとか(笑)。
 

中学の時、人生で1回だけの親父との喧嘩があって、中2か3でしたけど負けました。あまり反抗期はなかったと思うんですが、親父と喧嘩して、もともと僕が悪かったので、そのあとしっかり謝ったんですが痛かったですね。そうして得たものは、親へのリスペクトでした。普通にやられました。
 
僕は生まれた時は小さくて、親が大事に育てたらそのあとブクブクに太っちゃったそうです。それで3歳ぐらいから縦にも伸び始めたそうです。いろいろなところへ連れて行ってもらったし、いろいろやらせてもらっていました。
 
喧嘩のあと学校へ行って、「親と喧嘩しました」と言ったら、担任の先生は体育の先生だったんですが、喧嘩のあとが残っていることには何も言わずに、「しっかり解決はしたのか?」と言われました。それで「はい」と答えましたが、なぜかすっきりした感じがあって、親にも謝りました。親父には威厳があると思っています。これから自分も親になるかもしれませんが、自分も態度で説得出来たりする父親になりたいですね。

 
他の選手の親より住んでいるところが近いというのもありますが、土曜日に試合だと母親は自分のレッスンがあるのでなかなか来れませんが、親父は府中のグラウンドでも群馬でも大阪でも名古屋でも九州でも、どこにでも応援に来てくれます。母親も自分のレッスンがなければ来てくれますし、2人とも僕が出る出ないに関係なく応援に来てくれるんです。
 
高校から入って来た同級生のメンバーに、いまヤマハ発動機にいる宮澤(正利)という選手がいます。彼はヤンチャなんですが、親と凄く仲が良くて、そういうのを見ていて「いいな。親を大事にするのが大切だな」と高1の時に思いました。ですから親父との喧嘩と彼の影響と、その2つで自分の意識が変わった感じがします。
 
(了)

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