2015年10月22日
「少年サンゴリアス」Vol.48 村田大志 その2『周りの人に支えられていること』
「少年サンゴリアス」Vol.48 村田大志 その2『周りの人に支えられていること』
長崎にはラグビーが強い高校が3つあります。竜太郎(竹本)や竹さん(竹本隼太郎)がいた長崎北、僕が行った長崎北陽台、そして平さん(平浩二OB)たちが行っていた長崎南山で、実は父親は長崎北高校のラグビー部を創った人なんです。ラグビーが大好きでラグビー部を創ったラグビー部1回生なんです。結局僕はその高校には行かなかったんですが、自分の子供にはラグビーをやって欲しかったんだと思います。
兄弟は兄と姉がいます。兄はずーっと野球をやっていて、高校から急にラグビーを始めました。だから僕の方が早くラグビーを始めたんです。兄が行った高校はラグビーがそこそこで、初心者ばかりのチームでした。当時、長崎県は高校ラグビーのレベルが高くて、それでもベスト4とか8には行っていたので、初心者だけのチームとしては凄くいいチームだったと思います。
振り返れば「自分にはバスケットボールの才能がなかったなぁ」と思います(笑)。でも好きでした。なぜ好きだったか、いま思えば、父親のプレッシャーがなかったからだと思います。ラグビーをやったら父親からプレッシャーがありますが、バスケに関しては父親としてもどうでもいいので(笑)、「負けたなぁ」くらいですし、それが心地よかったんだと思います。
ラグビーでは中学生くらいからはもう、父親からのアドバイスはなくなりました。でも負けることに対しては、「男だったら負けるな」と(笑)。途中から母親の方がラグビーにハマっちゃって(笑)、凄くキャーキャー言ってました。母親が「なんで負けちゃうの!」って言うと、父親が「もぅいいだろ」みたいな(笑)。
負けるのが基本的に嫌いなんですね。負けている息子を見て、自分が腹立たしい、と。息子がいちばん悔しがってないですから(笑)。表に出さないですが、自分も負けず嫌いだとは思います。
自分の子供には、こんなにきついスポーツは絶対にやらせないです(笑)。でも「やりたい」と自分で言ったら、やったらいいと思います。中途半端にやらせてしまうと、親がトップリーガーということで変に負い目とかを感じる時もあるだろうし、それだったら好きなスポーツをやって欲しいという気持ちはあります。
ラグビーを通じて出来る仲間は一生ものだと思います。自分の父親は凄く冷静でした。「お前は筋力がつくのが遅いから、筋力がついてくればどにいても通用するようになるから、我慢しろ」とずっと言われていました。
当時はそんなことを言われても訳分からずですから、「やりたくないよ」と思いながら、でも逃げることだけは出来なかったので、その場その場の環境で真面目にやってきて、今があります。「父親は本当に凄いな、人を見る目があるんだな」と思います。親ながら自分の息子に対して冷静なアドバイスをしてくれました。
小学生の頃は大きかったり小さかったりしますが、「その時の差なんて時が過ぎればいつか埋まるんだから」、というのは父親はずっと言っていました。当時の僕は辛かったですけれどね、勝てなかったので(笑)。
ラグビースクールは中学のとき、遠いところへ行っていて、電車で30〜40分ぐらいかかって、そこからまた車で行かないといけませんでした。基本的に父親が車で送り迎えしてくれていたんですが、ある日、父親が仕事で行けないということで、父親の伯母さんに駅からの送り迎えを頼んでくれたんです。
でもその日、急に大雨が降り出して、ラグビースクールが中止になったんです。僕はワーイとなって嬉しくて自分の部屋でヘラヘラしていたら、「お前、伯母さんに連絡したのか?」と言われて、僕はすっかり忘れていたんです。「お前は周りの人に支えられていることが分かっていない」と言って、飛び蹴りされました(笑)。でも理不尽じゃないですよね。やり方は凄いけれど、怒られている理由は分かるし、本当に申し訳ないという気持ちになりました。
(了)