2015年10月20日
「少年サンゴリアス」Vol.47 村田大志 その1『基礎を大事にする』
「少年サンゴリアス」Vol.47 村田大志 その1『基礎を大事にする』
引っ込み思案な少年だったと思います。あまり前に出るのが好きじゃなく、教室で手を挙げて発表することもあまりなかったですし、何か劇をやるとなっても、主役とかは絶対にやりたくなかったですね。
スポーツで主役だったかと言えば、これもそうではなかったと思います。クラスでいちばん足が速かったという訳でもないですし、体も小学生の時はそれほど大きくなくて、真ん中か真ん中からちょっと前ぐらいの時もありました。
もともと体を動かすことは好きでしたが、何をしていてもトップだと思ったことはありません。サッカーをやればサッカーが上手いやつはたくさんいましたしね。普通の少年でした。
僕は小学校の時からラグビーとバスケットボールをやっていて、バスケは上手くないけど好きでした(笑)。ラグビーはどちらかというと、やらされて始めたので、あまり好きじゃなかったです。でも中学ぐらいから、ちょっと好きになってきたという感じです。
ラグビースクールから高校まで、とても基礎を大事にするチームでラグビーをしました。基礎の部分は小さい時から徹底してやらされました。のちのち何かをやる時に基礎があるというのは大事なことだと思うので、皆より成長は遅かったですが、後になって伸びたんだと思います。何故だか分からないんですが、背も中2か中3から、グンと伸び始めました。
小学校の時にラグビーをやっていて、幼馴染だった奴もラグビーに誘ったんです。僕の方がずっと先にラグビーを始めていたんですが、後から始めたそいつの方が上手くなっちゃって、凄く劣等感を感じました。「後から始めた奴の方が上手くなっちゃったよ」ってもう恥ずかしくて、「もうラグビーをやりたくねぇ」なんて思いました。
近所で始めたそいつはメキメキ力をつけていって、本当に縁なんですが、小中高と一緒にラグビーをやって、大学で分かれたんです。僕は早稲田へ行って、そいつは帝京へ行って、それが大学の最後の決勝戦で一緒に試合をしました。
もちろん帝京が勝って(笑) 、正直気持ちは最悪でしたが、なぜか納得できました。「あいつがいるから、まぁいいか」みたいな感じでした。そいつは中学でも九州選抜に入ったりしましたが、僕は入っていません。彼はいま、久光製薬で普通に働いています。
『やめたいって言えなかった』
ラグビーは凄くやめたかったんですが、父親がやめさせてくれませんでした。父親がラグビー大好きで、小学校の時にラグビースクールに無理矢理連れていかれて、スクールに入れられて、そこからずっとやってきましたが…感謝してます(笑)、今となってみては。怖くて「やめたい」って父親に言えなかったです。
父親はいま喜んでいると思います。いまの状況が自分の父親にとっていちばんの楽しみなので、長崎にいて離れていてもTVで見ることが出来るし、幸せに思ってくれていると思います。父親には、「この競技を始めさせてくれて、本当にありがとうございます」という気持ちです。
ラグビーを通して、いろんなことを学びました。人との人間関係もそうだし、ラグビー選手は痛みが分かるから、小さい頃から暴力をふるったこともないし、挨拶だってしっかりさせてもらったし、人間として大事なところから外れないでこらたのは、このスポーツを始められたからだと思います。何より今、久しぶりに会って楽しく喋ることが出来る仲間がいるというのは、ラグビーを通してですから、それは本当にありがたいですね。
(つづく)