2013年1月21日
「少年サンゴリアス」 Vol.39 辻本雄起 『ノリテツ』
「少年サンゴリアス◆辻本雄起◆ノリテツ」
乗りものが大好きな子供でした。見たり、乗ったり、旅したり。実家が関西なので、いろいろな鉄道会社がありました。阪急、阪神、京阪、南海、JRなど、いろいろな電車に乗って、いろいろなところへ行くのが好きでした。電車から見える風景を楽しんだり、その駅でしか見られない電車を見に行ったりしていました。よくいる鉄道マニアに近いものがあります。あと、電車の先頭車両に乗って運転手さんを見るのも、子供の時は好きでした。
従兄弟や兄貴が、電車が好きだったので、それを真似していたことが始まりです。プラレールで遊んだり、電車の模型などでも遊んでいました。小学校2年生の時に、子供だけで切符を買って、目的地に行くという授業がありました。社会科の授業だったと思います。4人でチームを組んで、自分たちでお金を払って切符を買って、目的地に行くんです。まるで冒険のようで、それが楽しかったんです。
次に「今度は1人でやってみよう」と思い、家から京都駅まで行きたいという話を親にしたら、親も「行って来なさい」と言ってくれました。1人で切符を買って、途中の大阪駅で降りて、好きだった特急電車を間近で見て写真を撮って、次に京都へ行って、京都駅で見られる電車を見て、写真を撮って帰って来ました。
小学生が1人で電車に乗っていたので、たまに車掌さんから心配されることもありましたが、しっかりと切符を持って、「どこどこへ行きます」と言える子供だったので、特に問題はありませんでした。大阪から京都へ行くにも、いろいろな方法があるんですが、行きは阪急で行って、帰りは京阪で帰ってくるなど、自分でルートを組み替え、ひとつの目的地に対して何通りかの行き方を考えて、それを実際にやっていました。あと時刻表を見るのも好きでした。
いちばん印象的なことは、小学校2、3年生頃、「500系のぞみ」という新幹線を見に行ったことです。山陽新幹線で「300キロ出る」というのが当時の新幹線の中では最速で、1日に3本ぐらいしか走っていなかったんですが、それを親父が「この時間に通る」というのを調べてくれて、西明石という新幹線の駅に見に行きました。僕のすぐそばを300キロの新幹線が通った瞬間「あ~凄いな~」と思ったのを覚えています。電車に興味を持ったことが、電車に乗ってみたい、自分でどこかへ行きたいという意識を持ち始めたきっかけになったと思います。
電車への興味から始まって、研究とまではいきませんが、「この電車はここからここまで走って、どういうふうにその沿線の人は活用しているのか」というテーマで、その地域のことを勉強しました。それが、そのあと中学、高校で好きになったラグビーで、いろいろなチームを見て、「海外にはこういう選手がいる」という興味に繋がっていったのかもしれません。あとは、一緒にラグビーをやっていた仲間が海外のラグビーが好きでよく見ていたので、その友達の影響もあり、僕も海外のラグビーを見るようになったと思います。
例えば、オールブラックス(ニュージーランド代表)の試合を見て、気になった選手について選手名鑑などで調べたり、その選手のプレーを見ることによって「こういうプレーも出来るんだ」と、ラグビーの幅が広がっていったと思います。単純に興味があったら、まず調べてみるという習慣がラグビーでも活かされていると思います。
今でも昔ほどではありませんが、電車には興味があります。たまにサンゴリアスのグラウンドの近くを特別列車が走ったり、貨物線の上をお座敷列車(従来の鉄道車両と異なり、畳敷きの内装を持った車両)が走ったりします。たまに練習以外の時に、そういう電車が通ると、見とれてしまったりします。
練習中は集中しているので、電車に見とれることはありません」
(構成:針谷和昌)