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サンゴリアスをもっと楽しむコラム

2013年1月 7日

「少年サンゴリアス」 Vol.37 長谷川圭太 『サッカーが役に立った』

「少年サンゴリアス◆ 長谷川 圭太 ◆サッカーが役に立った』
 
父親が仕事で異動が多く転勤族でしたので、小さい頃からいろいろな所に住んでいました。大阪で生まれ、すぐに埼玉へ引っ越して、3歳ぐらいで札幌に移って、小学校2年生で秋田へ行き、6年生の時に福岡へ行きました。それからは高校までずっと福岡でした。父親は普通のサラリーマンなんですが、全国チェーンのホテル勤めでした。  
転校の連続でしたが、それを辛いと思ったことはなく、僕は楽しく感じていました。札幌では初めてちゃんとした友達が出来たので、札幌から秋田に引っ越す時はちょっと寂しかったんですが、秋田から福岡へ行く時は、なぜかワクワクしていました。「都会に行ける」という気持ちもあったんじゃないかと思います。「新しい場所へ行けば、新しい友達が出来るだろう」という気持ちも常に持っていました。
 
妹が1人いて3つ年下なんですが、妹と遊んだ記憶はあまりないです。ずっと友達と遊んでいて、小さい頃からサッカーをしていました。幼稚園でサッカーをやり始めて、中学校3年までサッカーをしました。外ではサッカー、家で遊ぶのもサッカーゲームでした。
 
サッカーでは、ゴールキーパー以外は全てのポジションをやりました。サッカーで名門の東福岡高校に入って、さっそくサッカー部を見学しに行ったんですが、見てすぐに「これはレベルが違うな」と思いました。1年生で入部希望者が100人以上いて、しかも上手な人ばっかりで、「このままじゃ間違いなく埋もれる。冴えなくて終わるなぁ」と思いました。

 
それから1ヶ月ぐらいは何もしていなかったんですが、5月に去年から東福岡の監督になった藤田さんという当時のコーチから「ラグビーやろう!」と言われて、特に他にやることがなかったので、「あ、面白そうだな」と思ってやり始めました。従兄弟がラグビーをやっていて、観に行ったこともあったので、その影響も若干あったと思います。
 
サッカーではキック力がある方だったので、シュートが気持ち良かったんですが、ラグビーでは高校から始めたので初めはとにかくしんどくて、最初の頃は何が楽しいのかよく分かっていなかったですね。「とりあえずやっていたら、いつか楽しくなるかなぁ」と思ってやっていました。最初の2年間ぐらいは、我慢してやっていました。
 
サッカーと同じ距離を走るにしても、ラグビーは人とぶつかって走るので、ラグビーの方がしんどいなぁと思いながらやっていました。でもプロップなので、スクラムに楽しさを見出しました。高校生からは押し合いがありますから、押せた時は気持ちいいなぁって。
 
小さい頃から、サッカーでもサッカー以外でも、怪我は多かったですね。初めて骨を折ったのが幼稚園の時で、レストランみたいなところのプレイルームの滑り台から落ちて、手首を骨折したり、草むらでサッカーをやっていてサッカーボールを思いっきり蹴ったと思ったら転がっていた石を蹴ってしまい足の親指を骨折したり。プロレスごっこをしていて、自分で自分の唇を噛んで切ってしまったりとか。それなりにやんちゃで、元気ではありました。
 
イタズラなどは全然しませんでしたし、普通に良い子で育ったと思います。うちの親父は見守っているという感じで、何も言いません。何かやりたいと言って、反対されたことはなかったです。小さい時に初めて習ったのは英会話でしたが、それはすぐに辞めてしまいました。習字もやっていましたが字は上手じゃないですし、今に結びついているとすると、やっぱりサッカーじゃないでしょうか。サッカーをしていたので、ラグビーの役に立ったのかなぁと。9月に子供が出来ましたが、男の子なので自由に育てたいですね。怒るところは奥さんに任せて(笑)、僕は親父がそうだったように、ゆっくり見守っていこうかなと考えています。
 
 
(構成:針谷和昌)

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