2012年12月17日
「少年サンゴリアス」 Vol.34 佐々木隆道 『だんじり祭り』
「少年サンゴリアス◆佐々木隆道-1◆だんじり祭り」
外で遊ぶのが好きな活発な子供だったと思います。公園の木に登ったり、家の前の電信柱に登って怒られたり、高いところが好きでした。家の屋根にもよく登って、下の方を見ていました。「飛んだら危ないかな?」「これくらいの高さなら無事に着地が出来るかな」とかを考えて遊んでいました。
隣の家まで少し幅があるんですけれど、「これぐらいの距離だったらジャップして行けるんじゃないか?」と、屋根からどこまでの距離を飛べるかやってみようとして遊んだりしていました。屋根伝いにいちばん端まで行くという遊びをしていました。何度もやっていたら、隣の家の瓦がずれてしまって、謝りに行ったこともありました。今、東京でこんな遊びをしていたらすぐに怒られてしまいますね。
映画やアニメでこういうシーンがありますが、それに憧れていていたんだ思います。屋根の上を飛んで向こうまで行くというイメージです。4つ下の弟も誘ったんですけれど、嫌だと断られた記憶があります。
とにかく落ち着きがない子供でした。じっと座っていられない子供でした。今もそうですけれど(笑)。授業中に鉛筆を削りに行ったり下敷きで遊んだり、参観日に「誰なんだあの子は?」という状態になって、うちの母親はそれ以降、恥ずかしくて参観日に来なくなり、代わってずっと親父が来ていました。だから親父との思い出が多くて、授業参観で一緒に巻物を作ったことを覚えています。親父には休みの日にプロ野球に観に連れて行ってもらったりもしました。
学校ではサッカーをやったり、サッカーボールでハンドボールとラグビーをミックスしたようなルールのスポーツを自分たちで作って、それを「ラグビー」と呼んで遊んでいました。友達のお兄ちゃんがラグビー部に入って、「ラグビーは面白いらしい」というところからスタートしたんです。
学校ではお菓子を食べたりもしていました。誰も来ない階段のところで、家から持ってきたお菓子を食べるんです。先生に見つかりそうになると逃げていました。僕はあまり捕まらなかったです。「どうやらあそこでお菓子食べてる奴がいるらしい」という噂が広まると、先生が探しに来るという情報が入り、隠れる場所を変えたりしていました(笑)。
子どもの頃はお祭りが好きで、大阪には「だんじり祭り」という祭りがあるんですが、それが自分の地域にもあって、それを生きがいにしていました。親父もそうですし、僕もその勢いで友達とだんじりが始まる2週間位前からソワソワしはじめる感じです。腹見地区のだんじりなので、「腹見だんじり」と言います。
半被を着て、だんじりの屋根に上って踊ったり、後ろで押したり、ご祝儀をもらいに回ったりするんです。祭りは夏は7月の末から8月の頭に向けて、秋は10月にあります。だんじりから綱が出ていて子どもたちも一緒に神輿を引けるようになっているんですが、最初はその綱元を操ったりするのが、下っ端の仕事なんです。
年を重ねるうちに役割が変わっていって、中に入っている太鼓や鐘の鳴り物を叩かしてもらったり、その次には屋根に上らさせてもらって、さらに力がついてきたら、後ろの肩背(かたせ)というだんじりを押す人になります。中学生になったら青年会に入ってやっていました。
だんじりは僕の地元の神社には4台あって、町を練り歩きます。太鼓の音とか鐘の音に心が躍り、だんじり囃しが好きで、彫り物もあって伝統工芸もたくさん入っていて、日常にはないカッコよさみたいなものがありました。今は結構増えているみたいですけれど、僕の時は僕とあと仲の良い2人の合計3人だけが本気でやっていました。そのうちの1人が今でもやっているみたいで、今はたすきに「責任者」とか役職が入っている役割にまでなったそうです。
ラグビーを始めて高校2年生ぐらいから、僕は練習と試合のコンディションを考えたらなかなか参加出来なくなりました。そのまま東京に出て来たので、それ以来、参加出来てないですね。チャンスがあったらまた行きたいですし、行ったら楽しいでしょうね。この前、久しぶりに映像で見たんですけれど、10分ぐらいの囃しを覚えていました。
だんじりは夕方5時ぐらいから始まって夜10時ぐらいまでやるんですが、子どもは8時半ぐらいに解散でした。親父も昔からソワソワして家にいなかったですし、今は足が悪くなってしまいましたが、それでもついて回っています。音が聴こえると、ちょっと見てくるとか言って出て行きます。もっと小さい時は親父が一緒に連れて行ってくれて、だんじりの中で寝たりしていました。カンカンカンカン鳴っている中で。(ここからは親父の話になりますが、次回に)
[つづく]
(構成:針谷和昌)