2012年11月15日
「少年サンゴリアス」 Vol.29 宮本賢二 『逃げられるところ』
高校までずっと福岡にいました。大自然という程までは田舎じゃなかったですけれど、子供の頃はいつも外で遊んでいました。グラウンドを走り回っていた記憶があります。イタズラはいっぱいありますけれど、言える範囲で(笑)。
婆ちゃん家の鍵が開いていなくて、婆ちゃん家は団地の2階なんですけれど、小学校2年生の時、外から入ろうとしました。ベランダづたいに登って、2階まで行ったら、つかまるところが折れて、そのまま落ちてしまいました。下はコンクリートだったんですけれど、僕が落ちたところはちょうど砂利のようなところで、そこに背中から落ちて、打撲だけですみました。
それから家を燃やしそうになったことがあります。母親が「火遊びは危ないんだよ」ということを僕に教えるために実際に火をつけて見せてくれてたんですが、それが家のふすまに移って燃えてしまい、火事になりそうになりました。すぐ消しましたけれど、危うく団地で火事になるところでした。母親もさすがにその時は慌てたと思います。
兄妹は上に兄、下に妹がいて、仲が良くなかったですね。妹は今は仲が良いですけれど、兄とはいまだにあまり仲良くないです。兄弟ゲンカはいつもしてましたけれど、世間的にいう兄弟ゲンカのレベルじゃなかったですね(笑)。小学校5、6年生頃は殴り合いのケンカはしょっちゅうしていました。性格的に正反対で、兄貴の方が内気で、僕より2歳上ですけれど身体が大きくて、最終的には僕が力で負けていました。でも、口ゲンカでは絶対に勝っていました(笑)。
その頃、僕の家庭では両親が離婚して、最初3人で、お母さん方について行ったんですけれど、中学の時にいろいろあって、親父の方に行きました。皆バラバラだったので、親父の方には最初は兄貴が1人で行って、次に妹が行っったんですが、僕はお爺ちゃんとお婆ちゃんと一緒に暮らしていました。
中2の頃に出来事があって、親父に電話して「今から行く」と言ったら「いいよ」って言ってくれて、それで僕も親父のところに行くことになりました。親にも色々な理由があって決めたことだと思いますし、悪気があってそうなった訳じゃないと思いますが、兄妹、それぞれいろんなストレスはあったと思います。
この話の内容で、これを見ている子供たちに夢を持ってもらうことができるかと言ったら難しいですけれど、大事なことは周りに味方をつくることだと思います。僕は小さい頃からラグビーをずっとやってきて、周りの友達や大人がすごく支えてくれました。友達もそうですが、それよりも大人ですね。コーチもそうだし、友達の親が支えてくれていました。泊まりにも行きましたし、逃げられるところがいっぱいありました。
高校になるともう気にしなくなりました。好きなラグビーをちゃんとできる環境にもなったので、より楽しくなりました。自分が親になったら、子供には心配をかけたくないですね。周りと比べさせたりとか、僕は子供の頃、他が羨ましかったりとかしましたから。そういう思いはあまりさせたくないですね。
支えてくれた大人の人たちには感謝していますし、結局ラグビーをしていたからそういう出会いがあり、支えがあったんだと思います。家庭環境も、周りの状況も、自分が好きなことを一生懸命やれば、必ず周りは見てくれていると思うので、それに甘える時もあっていいと思います。自分の好きなことを本気で楽しくやれば、道はあります。
(構成:針谷和昌)