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サンゴリアスをもっと楽しむコラム

2012年11月 8日

「少年サンゴリアス」 Vol.28 日和佐篤 『とにかく負けず嫌い』

08~09年に連載し好評を博した「少年サンゴリアス」。思わず微笑んでしまう様なエピソードや、ビックリしてしまう話もたくさんあり、そんな子供たちも今は1人前のラガーマンになりました。3年振りに復活の「少年サンゴリアス」と併せて、サンゴリアスのOBたちの現状を伝える「中年サンゴリアス」もスタートします。どうぞご期待ください。
 
「少年サンゴリアス◆日和佐篤◆とにかく負けず嫌い」
 
イタズラっ子でした。ちょっとしたイタズラが好きでした。何か隠してみたりとか。でも先生に怒られる程の事はやっていなかったですね。親には毎日怒られてましたけれど。ご飯を食べずにウロウロしたりとか。あまりご飯食べるのが好きじゃなくて、じっと座っているのが嫌だったんですね。怒られてご飯下げられて「食べる~」っていって取り返しに行ったりとか。
 
家族は両親と兄がひとり。兄は2つ歳上です。兄弟喧嘩はよくしました。激しいですね。TVのチャンネルをめぐってとか、ふつうに喧嘩していました。勉強もしましたけれど、当時鉛筆を持つと体がかゆくなっちゃって(笑)。じっとしてられない、みたいな感じでした。
 
明るい家庭でした。父はふつうのサラリーマンで、高校の時にハンドボールをしていたと聞きました。運動神経は悪くはないと思います。母はコーラス部。兄は一緒にラグビーを始めて高校までやっていました。兄は争うことが好きそうな感じじゃなかったですね。僕は負けるのが嫌いだったので、すべてその延長線上です。
 
母から聞いた話では、団地に住んでいたんですけれど、外で兄弟喧嘩していて、顔があまり似ていないせいもあって、お宅の子供が誰かいじめているみたいなことを言われて、ビックリしたそうです。僕が兄をいじめていたんですね。
 
父親が高校の時に体育の授業でラグビーがあって、そのラグビーが楽しくて子供にやらそうと思ったらしいんです。僕がやり始めて喜んでいたのではないかと思いますが、毎週スクールに送り迎えしてくれていました。いまも時間があれば両親は神戸から応援に来てくれます。
 
夏休みに朝6時からラジオ体操がありましたが、それに行ってそのまま昼過ぎまで遊んでいることなんか、結構ありました。朝ご飯も昼ご飯も食べずに遊び続けました。野球をしたりとか川へ行って潜ったりして遊んでいました。
 
小学校2年生、3年生では公園で少年野球に混じってよくやりました。野球もその後やったんですけれど、ちゃんとやるとなかなか打席が回ってこなくて「あれ!?」と思って。遊びでやったら面白いのに真剣にやったら「あれ!? 暇やなぁ」と思って。じっとしていられないんですね。
 
ラグビーでは、ウイングとかだと1試合で数回しかボールが回ってこないときもありますが、僕には絶対に出来ないですね。常に何かをしていたいですから。子供の頃、特にじっとしていられなかったのは、エネルギーを放出したかったからじゃないでしょうか。
 

血だらけで家に帰ることはありました。ここに傷がありますけれど(写真)、1mぐらいのところから飛び降りる遊びをしていて、足がつまずいて頭から落ちて溝の角に思いっきりぶつかって、血だらけで帰ったんです。
 
別の時にマンションの地下の駐車場の狭いところに隠れていて、突然立ち上がって天井にぶつかって、痛ぇ~と思いながら頭に手をやっていたら、そのうちペタペタするんですよ。何かなと思ったら真っ赤っかで血だらけでした。指の骨もいつの間にか折っていたということもありましたし、擦り傷切り傷は日常茶飯事、とくに痛かったことの記憶はないですねぇ。
 
辻本(雄起)と小学校の頃、5歳からラグビースクールが一緒で、今年「友達20周年」なんですけれど、辻本は昔からデカクてこっちは小さくて良いコンビ。みんなラグビーが好きで、スクールが始まる30分前に勝手に集まって勝手に始めていました。親同士も20年の交流があります。当時から辻本はあまり変わってなくて、喧嘩もしなかったですね。ジャンボ(仲村慎祐)も高校のとき一緒でしたが、どちらかと言うと僕がジャンボをいじめてました。デカイ彼をいじってましたね。
 
(辻本選手のコメント)
「日和佐は今でも負けず嫌いで、悔しかったらとことん悔しがるところがあると思うんですけれど、スクールの大会とかでも負けたりしたら、いちばん泣いていたのは日和佐でした。負けず嫌い、わんぱく、やんちゃ、坊主(笑)。元気いっぱいでかわいいところがあって、おちゃめなところもあって、人懐っこい奴でした」
 
こうやってみると、いたずらっ子というより、負けず嫌いですね。小さい頃はすべてのことに負けるのが嫌だったんです。何をやるにしても。かけっこにしても、マラソン大会にしても、ジャンケンにしても、勝負事になると負けるのが嫌だったですね。だいたい勝ってきたと思います。今は負けてもいいやじゃないですけれど、我慢できるようになりました。
 
その負けず嫌いの大元は、家で兄に負けたくないと思っていたからだと思います。最初はそれで、そこから外へ外へと広がっていったんだと思います。兄に負けたまま終わるのは気がすまなくて、背もずいぶん違うので、だいぶ兄が折れてくれていた部分はあったかもしれません。兄がいなければ性格も違っていたかもしれず、もっととんがっていたかもしれないし、もっと丸かったかもしれませんね。
 
今はラグビーに凄く集中しているので、ラグビーで負けたら悔しいですけれど、他のところには体力を使っている暇はないという感じになってきました。新シーズンの開幕戦は、先発メンバーではないので悔しいです。悔しいですけれど、仕方ないですね。上手いっすからね、フーリー(デュプレア)は。いま勉強中なんで、抜けるように頑張りたいです。
 
 
(構成:針谷和昌)

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