2009年1月14日
「少年サンゴリアス」 Vol.19 田中 澄憲
『おかんのスパルタ教育』

めちゃいい子、普通にいい子でしたから、面白いエピソードはないです(笑)。兄弟は3つ下の弟が1人いて、一緒に遊んでいましたし喧嘩していました。男なんで兄弟喧嘩してましたし、3つ離れているんでいつも僕が勝つので可哀想でしたけれどね。
弟は結構あきらめが早くて、例えば2人で野球だとキャッチボール、ラグビーだとパスだとかを一緒に練習すると、途中で「もういい」ってやめちゃうんですよ。それがまた腹立って、余計にいじめるというか喧嘩しました。いまその弟は格闘技をやっています。
格闘技を教えています。実家のある兵庫県伊丹市で自分で道場をやっているんです。道場の名前は知りませんが(笑)、田中達憲(たつのり)というので、インターネットで調べれば出て来ますよ(笑)。子供たちとか、社会人で仕事を終わって来る人とか、女の人とか。そういう人たちに教えていますね。
ラグビーをやっていて、入った高校にラグビー部がなくて、そこで空手をやっていて、そこからじゃないですかね。知らない間にやっていましたよ。いま喧嘩したらどうでしょうね?僕が勝つんじゃないですか?(笑)わかんないすよ、それは。小ちゃい時のトラウマがあるかもしれない。わかんない。まぁでも普通にやったら負けるでしょうね。

親はどっちかというと、母親が厳しいというか、負けん気が強いというか、ラグビースクールをずっと小ちゃい頃からやっていたんですが、途中でやめたいと行ってもやめさせてもらえなくて絶対に行かせられたり。スキーも小ちゃい頃からやっていたんですけれど、小学生なる前ぐらいだと転けるじゃないですか。転けて泣いちゃうと立て、と言われて立ったら背中をポンと押されてまた転けさせられてとか。結構スパルタでしたね、母親は。
おとんがどうと言うよりは、おかんの教育で人間形成されたのかなという気がします。おかんは自分が負けず嫌いだったので、ウジウジしているのが嫌いなんでしょうね、子供が。僕は結構、弱虫というか泣き虫だったらしくて、例えば水が恐いというとプールをやらされたりとか、海へ連れて行かれて泣いたらもう1回水の中に入れられたりとか、甘やかすのではなくてあえてそこでダメな子になるよりはというか(笑)、負けず嫌いな子を作りたかったんでしょうかね。
子供の頃はだからおかんは恐かったですよ、凄い。叩かれましたしね。僕はピアノをやっていたんです。おかんはピアノの先生なんですね。で、ピアノをやっていて、「何でできないの?」とバーンと叩かれたりしていて、僕がピアノを弾いていておかんが楽譜のページをめくろうとした時に、僕は「殴られる!」と思って頭を抱えたんですね。その時におかんも「あぁっ」って反省したらしいですよ、やっぱり恐がりすぎて。
だから僕、ピアノは途中でやめちゃいましたからね。自分の子だから、おかんはできると思うんですね。だから「何でできないんだ」って凄く怒られました。ピアノがいちばん怒られたんですよ。それでピアノにいい思いがなくて、やめちゃったんですけれど。水泳とラグビーは続けていて、中学校に上がる時にどっちか選ばなきゃいけないんで、ラグビーを選んだんです。
スパルタ教育の効果は出たんじゃないですか?甘やかされていたら、そのまま結構弱い人間になっていたかもしれないし(笑)、「何でも自分でやれ」みたいな感じで、何か悪いことをしたらお灸をすえられるというか。結構厳しかったですけれど、その時は厳しいとは思わなかったですけれど。弟も同じようにやられていましたが、どちらかというと僕の方がまだ厳しかったかな、やっぱり長男だから。
反抗期の中学校1年とかで結構おかんと取っ組み合いの喧嘩をしたりもしてました。おかんは力が強かったし、腕相撲も中学校の時には勝てなかったですよ。おかんはキャッチボールをやっても男みたいにできるし、とにかく力が強かったですね。アクティブな感じで、ラグビースクールでの試合でも、応援していて「おぉ行けー!」みたいな感じでした。おとんは大人しいですね、だからあまりどうこうというのはなかったですね。
おかんは今でもパワーありますよ。だからおもろいですよ、関西のおばちゃんという感じで。試合にもよく来ます。おかんにそういう育てられ方されなかったら、ここまでラグビーをやるという、1つのことを続けるという人間になってなかったかもしれないし、わからないですけれど、少なくとも負けず嫌いというのは、そういう教育の中で自然と身につけたところじゃないかと思います。
