自分の可能性を広げるため日本へ。
「今季はVリーグ優勝。いつか日本代表に」
「日本に行ったほうがチャンスがある」と15歳で決断
- — アライン選手がキューバでバレーボールを始めたきっかけは?
子供の頃、おばあちゃんが僕と4歳年下の弟の面倒を見てくれていたんですが、僕らが元気すぎて手に負えないから、学校で何かスポーツをしなさいと言われました。学校で疲れてから帰ってきて欲しかったんだと思います(笑)。小学校ではハンドボール、陸上、バレーボールの3つから選ぶことができて、僕はバレーを選びました。10歳の時です。おばあちゃんもバレーをやって欲しいと言っていました。キューバの女子が強かった頃、よくテレビで観ていて好きだったみたいなので。
中学からは県の強化選手に選ばれて、スポーツの学校に進みました。朝は練習して、午後から授業という生活を3年間送って、中学では3年間ずっと全国大会で優勝しました。中学卒業後は、いろいろなスポーツの代表選手が集まるナショナルトレーニングセンターのようなところに入って、その中にある高校に通っていました。
- — 日本に来ることになったのはどうしてですか?
宮崎県の都城東高校で体育教師として働いていたキューバ人のマウリセ先生に誘われました。都城東高校で3年間頑張れば、日本の大学に行けるか、プロになれる可能性があるよと言われて。当時はキューバのU-18に入っていたんですが、その中では僕は小柄なほうで、キューバではあまりチャンスがないなと感じていました。
その頃はセッターとアウトサイドをしていたんですけど、どちらかというとセッターでした。キューバでは、身長2mを超えたらミドルブロッカー、198cmとか196cmぐらいだったらアウトサイドという感じで、身長で分けられていたので。それにセッターは僕を含めて3人いて、当時僕は15歳でしたが、1個上、2個上にもセッターがいたので試合に出るのは難しかった。だから日本に行ったほうが可能性が広がるんじゃないかと思いました。母ははじめ「15歳の息子を1人で日本に行かせるのは嫌」だと反対したんですが、最後は、僕がやりたいことだからと納得してくれました。キューバの高校1年の途中で日本に来て、4月から日本でもう一度1年生から始めました。
- — 日本での高校生活は大変だったのでは?
大変でした。最初は全然、日本語も何もかもわからなかったので。でも毎日僕だけ日本語の授業をしてくれたので、少しずつわかるようになっていきました。あとはバレー部の同級生と話しているうちに、バレー用語はわかるようになりましたね。2年生になるとフィリピン人の留学生がたくさん入学してきたので、彼らと英語でやりとりするうちに、英語が上達しました(笑)。
1年間の我慢を経てVリーグデビュー
- — 高校卒業後は、大学ではなくプロ選手になることを選んだんですね。
はい。日本語はそれほどうまくないし、漢字も苦手だったので、大学に行ったら4年間、もっと大変になるんじゃないかなと思って。その時、サントリーに声をかけてもらっていたので、サントリーに行こうと思いました。
- — 今アライン選手は日本国籍の取得を目指しているそうですね。それはいつから考えるようになったんですか?
サントリーと契約する時ですね。日本のVリーグでやる場合、僕はそのままでは外国人選手扱いになってしまうんですが、外国人枠は各チーム1つしかない。でも帰化すれば、日本人選手としてプレーできるので、帰化を目指すことにしました。今はまだ申請中なんですけど。
- — 帰化することについてはご家族とも相談したのですか?
父は「やったほうがいい」と言ってくれました。プロ選手になってから、もし怪我などでやめることになったとしても、帰化していれば日本で仕事を続けやすいし、アメリカだとか、他の国でも仕事ができる。キューバ国籍のままキューバに戻ると、基本的に2年間の兵役が課されるので、日本国籍を取得するのが安全な選択肢なんじゃないかと言っていました。母も反対はせず、「自分がやりたいことをしっかりやりなさい」という感じでした。
- — そんな事情もあるんですね。サンバーズ入団1年目はVリーグの規定により試合に出場することができませんでした。出たくて仕方がなかったのでは?
ハイ。しょうがないことなんですけど、出たかったです。1年間練習だけだったので。ホームゲームの時はサブコートで自分だけ練習していました。2年目にVリーグに出場できた時は嬉しかったです。(2021-22シーズンは)最初ディマ(ムセルスキー)がいなかったので、僕がオポジットに入りました。いつもやっているアウトサイドじゃなかったのであまり自信はなかったけど、どんどん試合を重ねるうちに、ライトからのスパイクもだんだんうまくなって、チームも助けられたので良かったです。ディマが来たので、途中まででしたけど。
- — 昨シーズンはアウトサイドでレギュラーとして、シーズンを通して活躍しました。
ハイ。むっちゃ頑張ったけど、最後の最後に……。
- — リーグ3連覇を狙ってファイナルまでたどり着きましたが、ウルフドッグス名古屋に敗戦。昨季のファイナルを振り返っていただけますか?
ファイナルの時は、みんなちょっと緊張して硬かったと思う。僕自身も、ファイナルでのスタメンは初めてだったので緊張したし、急にお客さんの数が増えて、アリーナ(代々木第一体育館)も初めての場所で、天井がめちゃくちゃ高くて、照明も違って、あっちにもこっちにもスクリーンがあって、それまでの会場と全然違ったので「ヤベー!」みたいな感じでした(苦笑)。もう少しみんな、自分のプレーができていたら……。
でもウルフドッグスは強かった。クレク選手は全然止められなかった。その前の年のファイナルでは僕らがウルフドッグスに勝っていたので、相手は「もう負けたくない」という気持ちでくるとみんなわかっていたから、「オレらも負けない!」という気持ちだったけど、相手がそれ以上に強かったです。
- — その後、5月に行われたアジアクラブ選手権では優勝しました。
日本のチームが優勝したのは初めてと聞いて、すごいことをしたんだなと。昨シーズンはそれまでリーグで2位、黒鷲旗もファイナルで負けて2位だったので、最後にいいことが待っていたなと思いました(笑)。僕自身も高いスパイク決定率を残すことができたので良かったです。
- — 今シーズンの目標は?
今シーズンはもちろんリーグ優勝を狙います。自分としてはもっとスキルを上げたい。スパイク、サーブは得意としているところですが、ブロックとサーブレシーブについては技術をもっと上げたいです。ブロックでは、僕は相手の外国人オポジットとマッチアップするところでもう少し頑張らないといけないと思っています。
いつか自分のプレーを世界に見せたい!
- — アライン選手がバレーボール選手として目標にしているところは?
日本代表に入りたいです。ネーションズリーグやオリンピックなどの国際大会に行って、自分のプレーを世界に見せたいです。もちろん帰化することができてからの話ですけど。
- — 昨年は練習生として日本代表の合宿に参加していましたね。
1週間ちょっとだけですけどね。レベルも雰囲気もすごかったです。みんな、すごく話しかけてくれて、変なプレッシャーがなかった。トモトモ(山本智大&小川智大)は2人とも面白いし、(髙橋)藍や(大塚)達宣とも仲良くなって、いろんなアドバイスをくれました。達宣とは同学年なので、いつも「同級生行くぞー」みたいな感じで僕を誘ってくれました。
みんなはその合宿の後イタリア遠征だったので、「まだ全然準備できてない。ヤバイ」と騒いでいたけど、僕だけ大阪に帰らなきゃいけなかったので、「オレも行きたいな」と思って見ていました。自分の好きなバレーボールで、いろんな国に行けるのはすごくいいなーとうらやましかったです。自分も頑張りたいと思います。
- — 最後に、ファンの皆さんにメッセージをお願いします。
今シーズンはまた優勝できるように頑張ります。だから皆さん、ぜひ試合会場に来て、応援をよろしくお願いします!
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Outside Hitter
デ・アルマス アライン
プロフィール