「まだ行けんじゃん」と言ってくれるのが嬉しい。
でも十分やった。悔いはないです
奇跡から始まった12年間「こんなに長くプレーできるとは」
- — 2月に、今リーグ限りでの勇退が発表されました。残された試合には1試合1試合、どのような思いで臨んでいますか?
あと少しでバレー人生が終わるので、本当に1日1日を大切に、でも何がなんでも3連覇、と思いながらやっています。あとは、もうどうなろうが現役は終わるので、あまり細かいことを気にしなくなりましたね。日々の練習の中でも、「スパイクが決まらないな」とか、いちいち悩まなくなった(笑)。吹っ切れたというか、そういうところはありますね。もう最後なので。
- — サンバーズでは12シーズン過ごしました。
2011年入社なので、12シーズンですね。いや長かったですよ。まさかこんなに長くやるとは思わなかった。まずサンバーズに入れたことが奇跡だったので(笑)。だいたいバレー選手はみんな、大学3年の春や秋ぐらいには進路が決まるんですけど、僕はサントリーに入社が決まったのは4年の秋でしたから。同期の(高橋)賢と牟田(真司)は先に決まっていて、たまたまもう一枠、入れることになって、声をかけてもらいました。
僕がいた頃の専修大学は、4年の春リーグまで関東大学リーグの2部で、4年の秋リーグから1部に昇格しました。その秋リーグで、調子がよかった試合を荻野(正二)さんが見ていてくれたみたいで。ギリギリセーフで入れたんです。でもその頃のサンバーズはスター軍団だったから、入った時には「あ、2、3年で引退やろうな」と思いました。こんなに長くやるとは思わなかったですよ。
- — 「2、3年」と思ったところから、12年間も活躍され、日本代表にも選出されました。転機となったのは?
1年目だった2011年の秋の近畿総合ですね。オポジットとして試合に出て、チームに勢いをつけたり、終盤の勝負どころでサービスエースを奪ったりしていたのを、当時日本代表のコーチだった中垣内祐一さんが見ていてくれて。それで推薦してくださって、代表合宿に参加しました。僕はずっと無名で、アンダーカテゴリーの代表にも入っていなかったのに、いきなり全日本に行けたという、そこでも謎の奇跡があったんですよ(笑)。
あの時はめちゃくちゃ緊張しましたね。結局その時はぎっくり腰になってしまって、大会までは残れなかったんですけど、それ以降、結構毎年代表メンバーに登録されるようになって、日本代表デビューは2015年のワールドリーグだったと思います。
- — サンバーズと日本代表で、一番印象に残っている試合やシーンは?
何だろうな……代表での試合はめちゃくちゃお客さんが入っていて、大阪市中央体育館も満席になっていたので、その中でプレーをするのはすごく楽しかったし、重圧や緊張感というのもよく覚えています。
Vリーグで一番印象に残っているのは、2014-15シーズンのJTサンダーズ広島との決勝ですね。僕が入ってから初めて経験したVリーグ決勝だったんですけど、第1セットがものすごくもつれて、40点を超えたんです。結局39-41で取られたんですけど、あの1セットにすべてが詰まっていましたね。最後のほうで、僕がスパイクミスをして落としたんです。インナーに打ったんですけど、アウトにしてしまった、そのシーンをすごく覚えています。あの年は、それまでオポジットだった僕がアウトサイドとしてチャンスをつかめて、スタメンで出始めた1年目のシーズンだったんですけど、決勝のあの場面は、1点の重みというか、そういうものを痛感しました。
もう一つ挙げるとしたらその次の年ですかね。キャプテンになったんですけど、入替戦(チャレンジマッチ)に行きました。キャプテンという責任感もあって、チームが勝てない中、ミーティングをしたり、いろいろやってはいたんですけど、まだ若かったし、周りはほぼ先輩だったので、精神的にめちゃくちゃキツかったですね。
優勝を経験した自信が、チームを変えた
- — サンバーズが優勝から遠ざかっていた時代を長く経験されましたが、その時代と、リーグ2連覇中の今、サンバーズは何が変わりましたか?
いろいろ変わっていますけど、まずメンバーが圧倒的に豪華じゃないですか。1人1人が代表クラス。ディマ(ムセルスキー)、アライン、(藤中)謙也、小野、彭、大宅、リベロの(藤中)颯志もみんな、一流選手の集まり。まあでも、以前もそうでしたよね。何が変わったんですかね……旬な選手が集まっているのかな(笑)。
まあでも「優勝を経験したら強くなる」というのは聞いていて。優勝していい思いをしたら、「来年も頑張ろう」とモチベーションがさらに上がるし、何より自信を得られますよね。2連覇した昨シーズンの決勝で本当にそれを感じました。決勝の1戦目は、ウルフドッグス名古屋に全然勝てそうになかったのに、2戦目は圧倒的な試合をしました。そこは、前年に優勝や、決勝のプレッシャーを経験しているチームと、まだ若いウルフドッグスとの違いだったのかなと。
その前のファイナル3もそうでした。パナソニックパンサーズに、試合ではフルセットで敗れましたが、その後のゴールデンセットを取った。その1セットの勝負強さ。あそこはやっぱり優勝を経験しているチームだからこそ勝てたんだろうなと。そこへの、最後の持って行き方がすごかったんです。仕上げ方というか。ディマとか、それまで調子が良くなくても、やっぱり決勝になるとガッと上がって、合わせてくる。謙也のパフォーマンスもすごかったし、大宅も。なんか目が違いましたね。見ていて「勝てるな。これ行けるな」という雰囲気でした。僕が初めて決勝に行った時(14-15シーズン)なんて、初めての大舞台に、地に足がついていなくて、全然普段通りできなかった。あの時の重圧はすごく覚えています(苦笑)。
あ、あともう一つありました、印象的だったこと。
- — なんでしょう?
昨シーズン、ベンチアウトしていたことです。僕は結構怪我も少なくて、基本的にそれまではずっとベンチには入っていたんですけど、昨シーズンは足首の故障もあり、1年間パフォーマンスが上がらず、ベンチに入れない経験をしました。それまでは入るのが当たり前みたいな感覚だったので、入れないのはしんどかったですね。決勝もベンチの外から応援していて、裏方の仕事やサポートもしました。33歳にして初めて(笑)。それを経験できたこともよかったです。この歳になってもいろいろ学べた、ありがたい経験でした。
今シーズンは足首のほうは大丈夫で、コンディションもよくなったのでまたチャンスがあって。ディマが肩を痛めて出られなかった試合などで出場して、VOMも取れた。引退する年に、VOMを2回も取れているんですよ(笑)。
「まだできるやん」と言ってもらえるうちに辞めようと
- — まだまだプレーできると思うのですが、今シーズン限りで引退というのは、いつ決めたのでしょうか?
昨シーズン中に決めていました。「来年で辞めます」と。昨季は本当に足首がおかしくなっていて、プレーも全然ダメだった。1年間ずっと痛いなんて初めてのことだったので、もう無理かなと。こんな状態だったらチームに迷惑をかけるし、ベテランだからって甘やかされるのもちょっと違うなと思って。
今シーズンは足首も全然痛くないし、復活したんですけど、僕としては、試合に全然出られない状態で引退するより、まだちょっと出ることができて、「まだできるやん」と言ってもらえるうちに辞めたほうが、引き際として格好がつくというか、そっちのほうがいいかなと思って。引退を発表してから、いろんな相手チームの選手が「引退するの?」「まだ行けんじゃん」みたいに言ってくれるのがすごく嬉しいんですよ。でも僕も、これから先の人生のほうが長いですからね。もう十分やった。12年もやったので、本当に全然悔いがないんですよ。
実は何年か前に、スタメンでもなくなったし、そろそろ辞めようかなと思った時期がありました。でも子供が生まれて、そうしたら、子供がちょっとわかるようになるまでやりたい、プレーを見せたいなと思うようになりました。今は3歳になって、応援にも来てくれているので、いいところを見せられてよかったです。でも逆に、わかるようになった分、辞めるのもちょっとしんどくて(苦笑)。辞める話を伝えてから、「バレーボール選手辞めるの?どうして?」と、急に言ってきたりするんですよ。それが結構きつい(苦笑)。そういう時は、「辞めたら、土曜日日曜日はパパと遊べるよ」とポジティブなことを言っています(笑)。
- — サンバーズの後輩たちにメッセージはありますか?
そうですね、じゃあまず同じポジション(オポジット)の(鳥飼)亜斗夢から。亜斗夢には、「こうしてみたら?」というようなアドバイスは一度もしたことがありません。ライバルだから。オポジットの二番手を争っているわけなので、そこに負けるとベンチに入れない。先輩なので、伸びて欲しくないわけじゃないんですけど、やっぱり負けたくないというのがあったので、先輩らしいことがあまりできませんでした。
でもすごく期待しています。ポテンシャルはすごく高い。コートに立つチャンスが今までなかったから経験はないけど、練習中のパフォーマンスはすごいです。経験さえ積んで自信をつけたら面白い選手になると思う。だからいいところを伸ばし続けて欲しい。僕もそうだったんですけど、チャンスは本当にいつ来るかわからないから、準備だけはしっかりして、急に出番が来ても結果を出せるようにしておいて欲しい。亜斗夢にはすごく思い入れがあります。入ってきたばかりの頃から、「クリさん、クリさん」って、すごく僕のことをリスペクトしてくれて、すごくかわいい後輩なんですよ。本当に頑張って欲しいですね。
あと、(鍬田)憲伸が「クリさんとあと5年は一緒にやりたかった」と言ってくれたのはすごくうれしかったです。(髙橋)結人とかもそうですけど、今の子たちは、僕の経験などをいろいろ聞いてくれるし、すごく向上心が高い子が多い。今は試合に出ているメンバーが固まっていますが、そこにどうやって食い込むか。今のBチームはすごく活気があって、Aチームにいいプレッシャーをかけられていると思うので、練習からアピールして、本番では「俺がサンバーズのスタメンを獲るんだ」という強い思いを持って、今後のサンバーズを引っ張っていって欲しいなと思います。僕は空気みたいな先輩だったから、あまり引っ張れていなかったんですけどね。コロナ禍もあって飲み会とかも全然できなかったし、先輩らしいことができず、それは本当に今の子たちに申し訳ないと思っています。だから、「引退してからでも誘ってね。相談乗るぜ」って書いておいてください(笑)。
- — 最後に、ファンの皆さんにメッセージをお願いします。
本当に、ファンの皆さんあってのバレー人生なんです。それを歳をとるにつれて感じてきました。若い時にはわかっていなかったんですけど、普通に冷静に考えたらすごいことだなと思って。みんな平日は仕事をして、土日に遠征で応援に来てくれる。すごく捧げてくれている。差し入れとかも、もらって当たり前じゃない。今になってその大切さがわかります。それに対して僕らがどれだけ還元できたかわからないですけど、本当にありがたいことだと思っています。
コロナ禍になって、ファンの方との距離が一気に遠のいて、イベントがない限り話すこともなくなってしまった。その中でも来てくれるファンの方や、1年目から応援してくれている方もいて、本当にすごいことだなと、愛されているなと感謝しています。長い間お世話になりました。今シーズン最後まで応援していただいて、その後も、僕は試合会場に行くと思うので、いつでも気軽に話しかけてください。ありがとうございました。