「ミスしたらどうしよう」なんて考えない。
ただ「勝ちたい」だけ!
“エース”として鍛えられた高校時代が現在の礎
- — 鍬田選手がバレーボールを始めたきっかけは?
僕には10歳上に姉、8歳上に兄がいるんですけど、その2人と母がバレーボールをしていたので、小さい頃からよく試合を観にいっていました。小学2年生の時に、自分も何かスポーツをやりたいと思うようになって、バレーボールを始めました。
その2年生の時にサンバーズのバレー教室に参加しました。今でも覚えていますが、(山村)宏太さんや米さん(米山達也コーチ)、荻野(正二)さんたちがいましたね。当時の自分からするとめちゃくちゃでかくて(笑)。特に宏太さんは、一緒にパスをしたので印象に強く残っています。その時に「いつかサントリーサンバーズに入りたい」とお母さんに話していました。
その後、小学4年生の時に、春高バレー決勝の鎮西高校対東洋高校戦をテレビで観て、「自分も鎮西のエースになりたい」「春高で日本一になりたい」と思い始めました。
- — まさにその通りに高校3年生の時、鎮西高校のエースとして、春高初優勝に導きましたね。
「春高で優勝したい」というそのために鎮西に行きましたし、そのためだけに3年間やっていました。
- — 鍬田選手が勝負どころで点数を取りまくってチームを優勝に導いた姿が印象に残っていますが、鍬田選手の卒業後も鎮西高校からは次々に世代を代表する大エースが生まれていますね。
自分もそれ、高校を卒業してから毎年思っていたんですよ。なんで鎮西って、エースというか、柱が出てくるんだろうな?って。それは自分も不思議です。一つ思うのは、まず“エースが打ち勝つバレー”が、鎮西の伝統的なスタイルだからということがあると思います。試合はもちろん練習の時から、エースにトスが集まってくるのが当たり前で、今では考えられないぐらい打っていました。
自分も最初はエースという自覚がなかったんですけど、3年生になったあたりから自覚を持ち始めました。自分が決めないと試合に負ける、自分が決めれば試合に勝てる、というのを、練習試合や公式戦で何度も繰り返し感じていく中で、エースの覚悟というのを持ち始めたなと。あとは畑野久雄監督の指導もあって。エースにしないといけないという選手に対しては、厳しく指導されるので。
何本かミスしたら怒る、じゃなく、自分の場合は1本ミスしただけですごく怒られていました。でも畑野先生は答えを教えてくれないので、「何で今怒られたのかな?」とか「なんでミスしたのかな?」というところから、「どう打ったからミスした」「どう打てば決まる」と、とにかく自分で頭を使って考えるようになりました。答えを自分で探すというか。
- — だから試合の勝負どころで決められるんですね。
チームによってエースというものに対する考え方はいろいろあると思うんですけど、鎮西はエースで打ち勝つバレーなので、エースの重みが、たぶん他チーム以上にめちゃくちゃ大きいんじゃないかと思います。きつかったですもん(苦笑)。もう、負けたら自分の責任ですから。めちゃくちゃ責任を感じていました。勝った時は「よかったー」と、とにかくホッとしていました。当時あれだけ鍛えられたことが、今につながっているなと感じます。度胸というか、プレッシャーに対する強さは、鎮西で学んで、今活かせているかなと。だから今楽しめているのかなと思いますね。
- — そんなプレッシャーの中で目標だった春高優勝を果たした瞬間は?
よく覚えていないんです、嬉しすぎて。ずっと怒られてきて嫌だったんですけど、優勝した瞬間、「うわ、やっててよかったー」と思いましたね。解き放たれたというか、終わったーみたいなあの感覚は、誰にも負けない自信があります。本当にしんどかったので(笑)。大会が終わって熊本に帰って、翌日の朝起きたら体が重くて。「昨日春高優勝したよね? なんか体重いんやけど」って熱をはかったら、40度でした。一気に安心したからでしょうね(苦笑)。
- — ずっと張り詰めていたんでしょうね。高校卒業後は中央大学に進学しました。
初めて熊本から都会に出て、すべての環境がガラッと変わったので、最初の1年間はバレーというより、新しい環境に慣れることで精一杯でした。特に大変だったのは寮生活です。4人部屋で、自分の時間がなかったので。高校までは実家から通っていて、自分のリズムがあったんですけど。休みの日にどこかにリフレッシュに出かけたりして、なんとか自分の時間を作るようにして、2年生になってようやく慣れていったという感じでした。だからサンバーズの寮に来た時は、1人部屋だし、部屋がすごく広くて、「めっちゃいいやん!」と思いました(笑)。
点取り屋からオールラウンダーへと変化
- — 高校時代はエースとして得点源になっていた鍬田選手が、昨シーズン内定選手としてサンバーズに合流した時、「自分の持ち味はサーブレシーブや守備」と話していたので驚きました。大学時代にどんな変化があったのでしょうか?
以前はオフェンス型だったんですけど、大学で考え方が変わりましたね。高校までは、「自分が決めないと試合に負ける」という考えだったんですが、大学に入ると自分の他にもいいスパイカーがいましたし、いいミドルブロッカーもいたし、初めてオポジットという、得点を取る専門のポジションの選手がいた。その時に初めて、サーブレシーブを返せば、自分以外の選手も攻撃に参加できるから、高校の時に比べたら自分の本数も減るし楽になるとか、1人で決めようと思わずに全員で点数を取りにいこう、という考えになりました。サーブレシーブの重要性を感じて、意識してやるようになりましたね。苦手ではなかったんですけど、もっと精度を上げていきたかったので、ずっと自主練習でもやっていました。
あと、大学1年の冬にイタリアに行った時に、自分は身長が低いほうで、周りには自分よりすごいスパイカーが集まっていたので、自分がサーブレシーブを返さないと周りを活かせないというふうに、高校までとは真逆のイメージになりました。
- — 大学1年の冬は、山村監督(当時はコーチ)がJOCのスポーツ指導者海外研修員として研修していたイタリアのリヴォルノに、練習生として短期留学したんですよね?
はい。2ヶ月ほど行きました。毎日充実していましたね。向こうの選手たちはガタイがよくて、日本にはない高さとパワーが当たり前だったのでびっくりしましたけど、そういう高いブロックに対しての打ち方を学べました。高校まではブロックの上から打つという単純なバレーでしたけど、小技が必要だなと感じて、フェイントをしたり、ブロックに当てて点数を取ったり、そういうテクニックを学べました。上から打つという考えを捨てられた。「さすがに畑野先生もあのブロックの上から打ては言わないだろうな」と思って(笑)。それに、トスを速くするようになりましたね。それまではずっと高いトスを打っていたんですけど。
イタリアでは宏太さんの隣の部屋に住んでいて、車でどこかに連れていってもらったり、すごくお世話になりました。一度(石川)祐希さんの試合を、片道4時間かけて2人で観にいきました。その時にいろいろ話して関係が深まりましたね。寝ないように2人でしりとりをしたり、あとは恋愛話をしたり。そこに関しては結構自分、質問しましたね。将来を大事にしたかったので、どういう夫婦像がいいのか、とか。バレー以外の話ばかりしていました(笑)。
- — そうだったんですね。そして、その山村監督のいるサンバーズに入団。小学生の頃の夢が2つともかないましたね。
そうですね。順調です(笑)。
“攻撃型”“守備型”どちらもうまくなれれば一番楽しい
- — これからの目標は?
やっぱりスタメンで試合に出ることが、今自分の中で目標というか、大事なこと。そのために一番必要なことはサーブレシーブかなと思っています。サンバーズに来て、さらにサーブレシーブの重要性を痛感しました。特にサンバーズはリベロと(守備型のアウトサイドヒッターが)2枚で取らなきゃいけないので。攻撃は好きですけど、やっぱり自分はサーブレシーブを強みにしないとコートに立てない。もちろんサーブ、スパイクももっと磨かなきゃいけないんですけど。
やっぱり(藤中)謙也さんはサーブレシーブに特化している選手で、あのサーブレシーブの質は見習わないといけないし、それ以上にならないとコートには立てない。でも、誰かの真似をするだけでなく、自分の良さ、自分の味も出してバレーを楽しみたいというのが一番にあるので、自分にしかできないことをコートで表現して、チームに勢いを与えられるプレーヤーになりたいですね。
- — 自分にしかできないこととは?
バレーボールは流れのスポーツなので、点数を取って流れをこっちに持ってくること。相手に流れが行っていても、1本誰かがアクションを起こせば、その流れは切れると思うので。
- — なるほど。やはり攻撃は好きですか?
好きですね。攻撃して点数を取らないと、流れを呼ぼうと思っても呼べないので。ここで点数が欲しいという時に絶対に決めて、流れが悪い時ほどよりオーバーに表現して、チームに流れを持ってこさせる。自分がその役割を埋めることが大事だと思うし、自分にしかできないことでもあると思うので、やらなきゃいけない。ただ自分が得点を取りたいというのが強すぎると、サーブレシーブが雑になってしまう時があるので、そこは気をつけないと。宏太さんによく「サーブレシーブはまず頭に置いておけよ」と言われるので、そこのバランスは大事ですよね。
- — 藤中謙也選手のポジションに入ることもあれば、アライン選手のポジションに入ることも。守備型と攻撃型、状況によってどちらもこなせることは強みですね。
謙也さんのところに入るとサーブレシーブ、アラインのところに入ったらオフェンス、その切り替えは、ベンチでも、頭の中で整理していますね。欲張って、どっちもうまくなれれば一番楽しいですよね。
- — セット終盤の後がない状況でも、ミスを恐れず強烈なサーブを打ち込んで形勢を逆転させた試合もありました。そんな勝負強さも武器ですが、例えば23-24の相手のマッチポイントの場面でサーブを打つ時はどんな心境なんですか? 「ミスをしたらどうしよう」とは思わない?
そういう考えがないんですよね。ミスしたら負けるとか、ミスしたらどうしようとか、土壇場で迷うことはなくて。もし自分がそこでミスをしたら負けるので、そこは考えた方がいいとは思うんですけど、まあそれはミスした時に考えればいいかなという感じで、打つ前はそういうことをまったく考えない。勝ちにいきたいと思ってサーブを打っているんで。
何より、個人的にそういう場面が好き、というのがありますね。そういう場面が嫌いという人もいると思うんですけど。
- — そういう場面で回ってくると、「やった!」という感じなんですか?
はい。「きた!」みたいな。やっぱり鎮西で鍛えられたというのがありますから(笑)。どう表現すればいいのかわからないんですけど……やっぱり「勝ちたい」というのが一番にあります。自分ちょっと頭おかしいので(笑)、極論を言いますと、そこでミスしても別に命を取られるわけでもないし。そういう考えがいいかどうかはわからないですけど、正直、「別にミスしたからってなんなん? こっちは勝ちにいってるからしゃーないやろ」ぐらいの気持ちでやっています。極論ですけどね。だってみんな勝ちたいと思っているし、コートで活躍したいと思っているので。そこでチャンスサーブを打って相手に簡単に決められたり、入れにいってミスしたりしたら、意味ないので。
- — なるほど。最後に、ファンの皆さんにメッセージをお願いします。
このVリーグに入って本当に、ファンの方の応援がめちゃくちゃ自分たちのモチベーションや、大事な場面での1点につながっているなと実感しています。例えばサーブに行く時もそうですけど、スタンドが見えるんです。ファンの方が会場に来てくれているというだけでもモチベーションにつながるし、サンバーズのユニフォームを着てくれていたり、タオルを持ってくれている人を見ると気持ちが上がります。今はなかなか直接話すことはできませんが、「いつもありがとうございます」という思いは常に伝えたいと思っています。こうして記事で伝えることしかできないんですけど、その気持ちをプレーで見せて、もっとたくさんの人に会場に来てもらえるように頑張りたいと思います。