“チャレンジしてみる”という選択が、
プラスにつながる
ファイナルは「みんなのプレーにびっくりした」
- — まずは今シーズンのVリーグのお話から。ウルフドッグス名古屋とのファイナルは、第1戦に敗れて追い込まれましたが、第2戦とゴールデンセットでサンバーズが勝負強さを発揮しましたね。
そうですね、正直びっくりしました。ストレートで勝って、ゴールデンセットも25-17。ああいう展開はまったく予想していませんでした。名古屋さんは少し硬さが見えていたと思うんですけど、それ以上に自分たちの1つ1つのプレーの質が高かったと思う。全体的にコンディションが上がってきていたのは感じていましたけど、みんながあれだけすごいプレーをするとは思っていなかったので、一緒にやっていてびっくりしました。「最初からやろうぜ」って(笑)。僕はあまりいつもと変わらなかったので。
- — 特に誰のプレーに驚きましたか?
彭(世坤)や(小野)遥輝が、あそこまで相手の真ん中のクイックとパイプを抑えてくれたことで、サイドブロッカーとしてはだいぶ楽になりました。後からビデオを見返しても、かなり的確に判断していて、相手の真ん中に対する圧が違った。あの日の4セットで、2人で12本も止めていますからね。あれだけ止めてくれたら、僕らサイドは、相手のサイドの攻撃に集中できる。ディマ(ムセルスキー・ドミトリー)がフロントにいるときは、滅多にその前から攻撃してこないので、相手はオポジットのクレク(・バルトシュ)選手に攻撃が集まりますよね。それに対して自分たちがディフェンスできていた。一番理想的な展開を組み立てられたと思います。
(藤中)謙也もめちゃめちゃ頑張っていましたね。怪我から復帰したばかりでしたけど、やる時はやるんで。サーブレシーブはもちろん、あの日に関してはスパイクも僕と同じ打数打っていた。そのおかげで相手のサイドのブロックが謙也のほうにリリースして、パイプが通りやすくなっていたので、僕としては助かりました。もともと謙也が打てないなんてただの決めつけなので、彼の能力としてはあの試合が普通ですけどね。そういった選手たちの頑張りが、ああいう結果につながったと思います。なので、ファイナルは僕は何もやっていないんですよね(笑)
- — 今シーズンの優勝後は、涙はありませんでしたね?
泣かなかったです。あまり自分が何かやった気もしなかったので、実感がなかったんですよね。「優勝した」というより「優勝させてもらったな」みたいな気持ちのほうが強かったので。
- — 昨シーズンの優勝とは違った味わいでしたか。
だいぶ違ったと思います。昨季は(海外リーグから)帰ってきて最初の年だった。サンバーズはそれまで14年間優勝できていなくて、その優勝に貢献するために戻ってきたので…。あそこまで行って、「何としても」という意気込みがありました。チャンスは何回もあるわけじゃないと思っていたので、「今年優勝できなかったらまたいつ優勝できるかわからない」、「帰ってきたからには絶対今年優勝したい」と思っていた。だからいろいろとチームに口出ししましたし、結果を出したいなと思っていました。
今季に関しては、僕自身、怪我をして動けなかったりしたこともあって、昨季よりもやれることは多くなかったし、今季はいろいろな選手が活躍したシーズンだったので、また違った雰囲気、違った感覚で過ごした1年でした。
- — 違った感覚というのは?
捻挫をしたりして、コンディションが十分じゃない時期があって、明らかに僕よりコンディションのいい選手が他にいる中で、自分がどこまでそういう選手と同じクオリティに持っていけるのか、自分が納得してコートに立てるのか、という部分で若干、弱気になったところもありました。「コートを譲る時がくるのかな」みたいな、そういうことを考えながらバレーボールをしていた時期もありましたね。
自分がコートに入る入らないというのは僕が決定することではないんですけど、自分が活躍することよりも、今はコンディションが高いレベルにある選手がコートに立ったほうがいいんじゃないかとか、そういうことはいろんな局面で考えさせられました。
コンディションが上昇するにつれて、そこの自信もついてきましたけど。今季は本当にいろいろな選手が活躍していましたから。裏方としてとかじゃなく、全員が表舞台に立って、結果を出していたシーズンだった。それがなかったら2連覇どころか、ファイナル3にすら入れなかったと思います。
- — そうですね。リーグ開幕後12月まではムセルスキー選手抜きで戦い、10勝4敗の3位で年内の戦いを終えました。
本当にあの前半戦の頑張りがあったからこそ、ですよね。大砲がいない中でどういうバレーをするのか、ということから始めたシーズンでした。個人的には、前半の(デ・アルマス)アラインがオポジットに入って頑張ってくれていた時期のバレーボールも好きです。全員で戦うということも、あの時期だからこそより追求できた。大変さと、面白さがありました。大変だからこそ、向き合って、そこから見えることに価値を感じる。考え続けないと衰退していきますから。どうすればボールが落ちないだろうとか、あの時期はいろいろと考えさせてもらいました。
今の柳田将洋につながる出来事と出会い
- — これまでのバレー人生を振り返って、今の柳田選手のベースを作ってきたのはどんな時期や出来事でしょうか?
細かく言えばたくさんあるんですけど、バレーボールのことで言うと、高校生の時(東洋高校2年)に、春高バレーでトップになった、あそこがどでかい分岐点だったと思います。それまでは正直、バレーボールに本当に絞ってやっていこうというところまで真剣じゃなかったんです。でもあの時“勝てる”という成功体験を得ることができた。そして、結果を出せば、それに比例して注目されたり、ユース代表に呼んでもらったり、勝つだけじゃなくて、勝ったその先にもいろんなものがついてくるということがわかったんですよね。それが、バレーボールを続けようと思ったスタートラインだった気はします。
- — 優勝して注目され、取り巻く環境の変化に戸惑ったというより、いい刺激になったんですね。
まあ高校生の感覚だったので、単純に、テレビに映ったりすることがあり得るんだ、みたいな感じでしたね。ただ、シニアの日本代表のキックオフミーティングに呼ばれて、それはめちゃめちゃ行くの嫌でしたけど。怖くて(苦笑)。ユース代表も最初は断ろうとしていました。当時はまだそういうことに前向きじゃなかったので、「行く義務あるんですか?そこの選択権は僕にあるんじゃないんですか?」とか「僕が断ったら他の選手が行けるからそのほうがいいんじゃないですか?」みたいなことを高校の監督に言いました(苦笑)
- — どうして行きたくなかったんですか?
(ユースは)厳しかったからじゃないですか。あんまりそんなに厳しくバレーをやりたいとは思っていなかったので。完全にゆとり世代ですよ(笑)。でも監督に「いい経験になるから」と根気強く説得してもらって、行きました。今思えば行ってよかったと感謝しています。プラスになっていることは多いですから。
特に若い頃は、自分の選択がすべて合っているとは思わないほうがいいってことですかね。ちゃんと考えて出した答えならいいですけど、直感的なものだったら間違っている可能性はおおいにあります。やってみるということが、意外にプラスにつながることがあるので、やってみないという選択はなるべくしないほうがいいかな、と。人生観みたいになりますけど、ちょっと行きづらいなとか、隣の芝に入りづらいなとか、そう思ってしまうのは、たぶん人間がちょっとした防衛本能を持っているからだと思うんですけど、「入ってから考えても、別に戻ってこれるじゃん」という感じですね、今は。
それと、他に自分のベースになっているのはいろいろな出会いですね。慶應義塾大学の先輩と一緒にバレーをやったことは、メンタリティというか、考え方の部分で、「あ、こういう考え方ってすごく大事なんだな」と気づかされるきっかけになりました。
やっぱり人間って、僕もそうですけど、自分が一番かわいいじゃないですか。若い時なんて特にそうだと思います。でも慶應の先輩には、自分のことよりも僕や他の後輩、チームメイトのために、というマインドの方々がいらっしゃって、そういう人と一緒に活動をする中で、すごく自分が支えられていると感じたんです。「この人のおかげで自分は伸び伸びバレーができているんだ」と。「じゃあそれって自分も人に対してできるのかな?」とか、「自分もそういうことをやりたいな」と思うようになりました。そこは一つ自分にとって新しい考え方でしたし、バレーボールの実力だけじゃないところに、人の魅力や面白さを感じました。
- — どんな時に支えられていると感じたのですか?
自分がうまくいかない時に、一番気にかけてもらいました。だいたいそういう悪い時には、人は離れていくっていうじゃないですか。でも、そういう時にこそ逆に近くにいて、コミュニケーションを取ってくれた。そういう時のことって一番覚えているんですよね。調子がいい時は、放っておいても人は寄ってくるので、あまり記憶に残らないんですけど、しんどい時に周りにどんな人がいるのかというのは覚えているものなので。
そのあとは、サンバーズや日本代表で一緒だった酒井(大祐)さんをはじめとする先輩方との出会いがありました。当時の酒井さんはたぶん今の僕ぐらいの歳(29歳)か、もう少し上だったと思うので、ちょうど僕と(鍬田)憲伸みたいな感じですね。それぐらい年上の人だったんですけど、フラットで、年の差を取っ払ったコミュニケーションができることに対してすごいなと思ったし、プロ選手としてやられていて、バレーに対する姿勢や考え方、それにバレーだけじゃない視野の広さというものに触れて、自分がプロになるきっかけになったので、今に至る大事な出会いだったと思います。他にも挙げればきりがないほど、いろいろな人が僕に影響を与えてくれたおかげで、今の自分がいると思うので、出会いに感謝しなきゃいけないですね。(取材日 4月28日)