時は1587年。2年前から断続的にはじまったイングランドとスペインの紛争(英西戦争1585-1604)の最中だった。ドレーク提督率いるイングランド艦隊はスペイン・アンダルシアのシェリー交易拠点であるカディス港を襲撃する。
ドレークの艦隊は3日間カディスを占拠して破壊掠奪をおこなう。スペイン船を焼き払ったり拿捕しただけでなく、新大陸へ向けて積み出されるはずの3,000樽近いシェリーを掠奪した。その後、ポルトガル沿岸をも襲撃しながらイングランドに凱旋。ロンドンのエリザベス女王に掠奪物資を献上する。
なかでもシェリーは、宮廷でたちまちにして大人気となった。
もともとイギリス上流階級はワイン好きだった。11世紀にフランスのノルマンディー公ウィリアム(ギョームⅡ世)がイングランド王国を征服してノルマン朝となり、つづく12世紀半ばから14世紀のプランタジネット朝時代はフランス西部のロアールからスペイン国境までが領地であり、ボルドーワインがたくさんブリテン島へ運ばれている。
英仏の百年戦争(1337-1453)でフランスの領地のほとんどを失ってからは、ポルトガルやスペインのワインを輸入するようになる。そしてドレーク艦隊のカディス襲撃により、イギリス人のシェリー好きがはじまったといえる。21世紀のいまでもシェリーの最輸入国はイギリスである。
大昔の歴史の名残りをイングランド西南部の港湾都市、ブリストルに見ることができる。いまもボルドー埠頭という船着き場があり、かつておそらくボルドーからのワインがたくさん荷揚げされていたのであろう。
このブリストル、長年にわたりシェリーの町であった。そしてスコッチウイスキーの熟成樽に貢献してきた。スコッチが貯蔵熟成に使用するシェリー樽の多くは、実はスペインではなく、ブリストルにあったシェリー会社のものだったからだ。樽の供給は1970年代までつづいた。
シェリーは土壌、ぶどう品種、アルコール度数、味わいや醸造法によって辛口のフィノ(またはマンサニージャ)からアモンティヤード、オロロソ、極甘口のペドロ・ヒメネスなどに区分される。スコッチウイスキー出よく使われるのはオロロソシェリーを熟成させた樽である。
長らくブリストルのシェリー会社はスペインからシェリーを樽で輸入し、港湾近くやその近郊で貯蔵やブレンド、瓶詰めをおこなっていたが、1989年、スペインのカディス県ヘレスに移転している。これはEUによる原産地名称保護の動きだけでなく、もともとスペイン政府がシェリーはヘレスで製品化するべきだと主張していたことも大きい。