Yet Nature's charms, the hills and woods,
The sweeping vales, and foaming floods,
Are free alike to all
けれども美しい自然の魅惑、その丘、その森、
そのなだらかな谷や逆巻く川は、
すべて等しく皆のもの。
"Epistle to Davie, A Brother Poet" Robert Burns
ボトルで最も目につくのは、ラベルに掲げられた紋章 a coat of arms であろう。バランタイン社がウイスキーづくりで最も重視すべき職人芸と伝統の結びつきを紋章化したもので、中央の盾は4分割され、各部分に大麦の束、清流、ポットスチル、そして熟成用の樽という、スコッチ・ウイスキー蒸溜の4大要素が描かれている。
バランタイン社は、タータンやクランとともに豊かな歴史を織り上げてきたウイスキーづくりの伝統を何よりも誇りとしている。1938年、やはり、世紀を超えて不変の歴史を刻んできたスコットランド紋章院の長官“ロード・ライアン Lord of Lyon”より紋章を授与されたのは、まさにその伝統にふさわしい出来事だった。
紋章は英国でアームズ arms という。武器や軍勢をも表すこの言葉が示唆するように、紋章は戦闘の際、敵味方を区別するための標識として始まった。ヨーロッパの紋章 は、騎士が兜で面を覆う完全武装を始めた12世紀ころより盛んになった。宣戦通告などを行う伝令官ヘラルド Herald が紋章管理の専門家となり、独特の紋章体系が発達。これを研究する紋章学の英語“Heraldry”もヘラルドに由来している。紋章はいったん授与されると、他の誰もこれを着用してはならず、このルールは現在も厳格に守られている。
「スコットランドのコモン・ロー(判例法)では、紋章の誤用は“真の違法行為”とみなされ、紋章の所有者は紋章院法廷から、自分の紋章を誤用している人間に対する使用差止命令を得ることができる」とバランタイン社の法律顧問アンドリュー・マクリーン Andrew McLean は説明する。
「紋章院長官はスコットランド王国の裁判官とみなされ、今でも、弁護士が彼の前に出るときは鬘とガウンをまとう。紋章院長官は1592年にさかのぼる法令に基づき、違法者に罰金もしくは禁固を命ずる権限をもっている。罰金制度は現在も行われている」
スコットランド紋章院長官の正式な称号は“女王陛下の宮廷の最上級紋章官”だ。紋章院長官は“存在するもののなかで最も純粋かつ厳格な法則をもつ”と言われる紋章体系を監督してきたが、その役職の起源は、スコットランドのケルト人時代にさかのぼる歳月の霧のなかにあり、定かでない。
かつて紋章院は“ロード・ライアン”を長官として、聖なる数字にちなむ13人の紋章官で編成されていた。長官の下に“ヘラルド Herald”と言われる中級紋章官6人、その下役で“パーシヴァント Pursuivant”と言われる下級紋章官6人の構成である。中級・下級紋章官は17世紀に定められて以来、インフレ修正されないままの賃金を受け取っている。昼食を食べればなくなってしまう金額だが、この役職はきわめて重要なものとみなされているのである。
現在の紋章院長官は中級・下級紋章官各3人の補佐を受け、紋章が正しく授与され、記録されるよう監督し、全スコットランドの紋章に関して女王の代理を務めている。
バランタイン社が使用しているような紋章の細かい特徴は、エディンバラの紋章院に収められた膨大な羊皮紙の記録帳に注意深く登録されている。紋章はその色でさえ正確に守らなければならない。数年前、バランタイン社がメモ用紙やウイスキーのラベルに紋章の色を誤って印刷したところ、正確な色に戻すように紋章院の事務局から命令が出されたこともある。
盾、騎士の兜、そして白馬をデザインしたバランタイン社の紋章は58年前、企業にも複雑な紋章が認められた時代に授与されたものだ。
「サポーター(盾持ち)や騎士の兜をそなえた紋章は、現在では、国王勅許状とか議会特別法によって設立された企業にしか授与されない」とアンドリュー・マク リーンは指摘する。
「今、紋章の申請をしても、バランタインの紋章のような凝ったつくりの、素晴らしい紋章は“いただけない”と思うよ。また、紋章院職員の話によれば、バランタインの紋章を描いた画家の腕は相当なもので、紋章の原画が紛失したとして、現代の画家が代わりを描いても、同じくらい緻密には描けないそうだ」
1672年以来、スコットランドの紋章を使用する権利を与えられた者はすべて、エディンバラで紋章院職員、つまり記録保管係が管理する70巻の革張りの記録帳に紋章を登録・記録しなければならない。この歴史的リストには、国定貴族、アザミ勲章ナイト、クラン首長、最上級勲位ナイト、そして1587年以前に土地を拝領した国王直臣らが名を連ねている。
紋章院長官や紋章官たち、その他のスタッフの執務室がある建物も、それにふさわしく、年代を経た建物である。
「長官のいる建物はとくに古めかしい」とアンドリュー・マクリーンは回想する。
「壁にはオーク材を張り、ほこりをかぶった書棚には紋章の原画を収めた革張りの記録帳が並んでいる。壁や天井には額や旗が掛けられ、最後に訪ねたときにも、デスクの上には羽根ペンが置かれているだけで、コンピューターは見当たらなかった」
「電話までベークライト製のダイヤル式という古いものだった。どこもかしこも、穏やかな衰退と奇妙な外観に満ちている。独特の魅力をそなえた、スコットランドの伝統のきわめてユニークな一面を表す建物だ」
「彼らが使っている言葉も古風で格式ばっている。たとえば、末尾に“あなたの従順なる僕”と署名された手紙が届くことも珍しくない。現長官のマルコム・イネス・オブ・エディンガイト Malcom Innes of Edingight 卿は“ライアン”と呼ばれ、またオルバニー Albany、マーチモント Marchmont、ロサセー Rothesay という3人のヘラルドたちもその称号を使って“おはようございます、オルバニー”というふうに呼び合っているんだよ(笑)」
盾“シールド shield”は紋章の中核をなすもので、一般に天地の5分の2ほどを占めている。盾の紋には、盾の補強用金属バンドを紋様化した幾何学的直線による紋様のオーディナリーと、動植物や天体、自然、器物などの物象を描いたチャージという盾紋の2種がある。バランタイン社の盾紋は、盾を4つ割りにして大麦、清流、ポットスチル、樽といった絵紋様を配したチャージ系である。
紋章の色は、金(黄)か銀(白)の使用が鉄則とされ、ほかには赤、青、緑、黒を用いるのが一般的だった。バランタイン社の紋章は盾の基調色に青と金を用いているが、これはウイスキーの品質の鍵を握る自然要素、水と大麦とを象徴したものである。
4つ割り紋の左上は第1郭と言われる。右上が第2郭、そして、左下、右下が第3郭、第4郭ということになる。バランタイン社の盾の第1郭には、蒸溜所でのモルティング(発芽作業)にそなえ、縄で縛った収穫したての大麦が 描かれている。バランタインは良質な大麦からウイスキーづくりを始めるという信条の表明である。
第2郭には、原野を走る清流が白と青で描かれている。良質の水はウイスキーづくりの命であり、バランタイン社はこの絵で、ピュアな水、および水を育む自然を大切にするという姿勢を表明している。
下の左手、第3郭にはポットスチルの銅製ドームと長い首が描かれている。蒸発した香り高いアルコール分はこの首に導かれて凝縮され、若いモルトウイスキーが取り出されるわけだ。ここにクラフツマンシップをウイスキーづくりの要とするバランタイン社の哲学が表明されている。
その右手、第4郭には、ウイスキーづくりの最終工程、ウイスキーの熟成のために眠る樽が描かれている。バランタイン社のマスターブレンダーはウイスキーの完璧な熟成を求めており、樽はその水準に達するまで若いウイスキーの粗く未熟な角をなめらかにしていかなければならない。バランタイン社は最新技術の導入にもたけた進取の精神が旺盛だが、樽の絵はもうひとつの側面、品質のためには時間と手間を惜しまないという企業姿勢の象徴である。
盾の上には“ヘルメット helmet”と呼ばれる兜と“リース wreath”と呼ばれる花冠が掲げられ、花冠から兜の両側にかけて“マント mantling”が広がっている。マントも“ウイスキーづくり”の色である青と金を基調としている。
マントはもともと、騎士の首の後ろを陽光から守るために着けたもので、良質の布でつくられたカーテン状のものだった。戦闘の際には剣で引き裂かれ、ボロボロになることも多かった。そこで、マントに見事な渦巻き状の飾りをつけるようになり、王室公認の画家がさまざまにデザインの腕を振るうようになった。
盾の両側には馬が配置されている。紋章によっては馬の代わりに、獅子や王室の象徴であるユニコーン(一角獣)が使われることもある。
その下には巻紙が描かれ、ラテン語で“Amicus Humani Generis”という標語が記されている。これが、バランタイン社のモットーである。紋章院の職員によれば、このラテン語を正しく訳すと、あらゆる人の友 A Friend to Everyman、人類の友 A Friend to Mankind、万人の友 A Friend to Allなどとなる。
紋章学では、全世界の教会で使われた共通語、ラテン語をよく用いる。中世の昔には、司祭や修道士以外でラテン語の読み書きができる者はほとんどいなかった。また、フランス語の標語や記述が紋章に用いられることもある。たとえば、英王室の紋章もモットーはフランス語で描かれているほどだ。フランス語はヨーロッパの多くの王室の共通語であり、王族や貴族はフランスで教育を受けることが多く、スコットランドの王室も例外ではなかった。
バランタインの標語をどう翻訳するかは、好き好きである。バランタイン社では“全人類の友 A Friend to All Mankind”と訳している。スコットランドの伝統と業績の最良の部分を代表するウイスキーにふさわしい標語と言えるだろう。
バランタイン社がこの紋章の草案を紋章院に提出したのは、<バランタイン17年>の構想が出たころのことである。しかし、紋章を許可するか、また許可するとしてどのような紋章を与えるかは、紋章院長官の裁断に委ねられていた。羊皮紙の“認可状”が紋章院長官の署名入りで発行されたのは、ようやく1938年になってからだった。
待望のこの“認可状”は、バランタイン社に紋章が認可されたことを記したうえで、紋章の内容がノルマン・フランス語に起源をもつ紋章学の用語に従って上記のように記述されていた。ブラゾンというこの説明文の表現に慣れている者なら、文章を読むだけで、いかに複雑な紋章の内容でも正確に理解できる。ただ、その様式は画家の裁量に任される部分が多い。しかし、紋章画家は、正しい色を使い忠実に複製できると言われている。
さて、バランタイン社あてのブラゾンの記述は4分割した盾から始まっている。“オール”は金、“アルジャン”は銀、“アジュール”は青、“サルティール”は十字のことである。
青地に白の斜め十字を染め抜いた“バナー banner”と呼ばれる四角の旗は、スコットランド国旗であり、スコットランドの守護聖人でX型の十字架にかかって殉教した聖アンドリュー St. Andrew を象徴している。
兜の上で剣を振りかざす“グリフィン griffin”は神話上の怪獣で、鷲の頭と獅子の胴体をもっている。説明文に記されている“半グリフィン”とは、単に半身だけが見えているという意味である。グリフィンは、兜の頂部にめぐらされた“リブリーの花冠”の上に座っている。この花冠は紋章着用者ごとに独特の様式と色彩がある。
紋章院事務局によれば、正統な紋章の色は具体的に定められているのではない。
「紋章官にとっては、紫やオレンジ、ピンクがかっていない赤であれば、どんな赤も赤なのです」と広報官は言う。
「茜色も朱色も、紋章学的には赤になります。よって、紋章の所有者が使用できる色調の幅はかなり広いのです。一般的には、最も強く明るい色がふさわしいと考えられています。そう言うと、けばけばしい紋章になると思うかもしれませんが、実際につくってみるとそうではありません。色彩の配置に関する紋章学上のルールは通常、けばけばしい効果をもたらさないようにできているのです」
認可状によれは、バランタイン社は製品、メモ用紙、社員の制服、絨毯、家具、その他の装飾品などに、さまざまなかたちで紋章を使用できることになっている。規則は非常に厳しいが、それを遵守する限り、紋章院では常に紋章の使用を奨励している。
紋章が認可されれば、旗をつくって自動車につけて町を走ることもできる。しかし紋章院事務局は、やり方次第では尊大に受け止められかねないことを承知している。
「英国では確かに、自動車にフラッグをつけているといたずらされやすい」と広報官は認める。
「妬まれるのは避けられないが、フラッグのつくりや使い方が合法的で正しいものならば、そうしたいたずらに抗議することもできるはずです」
技術的には、バランタイン社の社長がそうしたいと願えば、自動車にフラッグをはためかせてもかまわない。だが、その規則はきわめて詳細に定められている。
「自動車のペナントはミニチュア・フラッグの形でなければなりません」と、紋章院の事務局はアドバイスする。
「フロント・ウイングのラジエータ・キャップ、または、かつてラジエータ・キャップがあった場所の上、もしくは、ルーフの前部中央にはためかせること。後者のケースは珍しく、聞いている限りでは、英王室が群衆のなかを自動車でパレードする際に目につくように、特別に必要とする場合に使われるだけです」
「そして、自動車のペナント……ペナントは三角形ですから、四角い旗のバナーと言ったほうが正確なのでしょうが、これは自動車の中にフラッグを掲げることを認可された人間が乗っているということを示します。その人物が車内にいない場合には、フラッグに覆いをかけるか、取りはずすかしなければなりません」
ウイスキーづくりの歴史を讃えた紋章ではあるが、バランタイン社の社長は紋章を車にまでは掲げていない。
ジョージ・バランタイン&サン社に授与された素晴らしい紋章は、スコットランドにおける同社の名誉ある地位を公的に宣言したものだ。紋章を授与するにあたって、紋章院長官はバランタイン社を“スコットランド貴族に連なる高貴なる企業”として認証したのである。
<バランタイン17年>ファンにとって、紋章が授与されたことは、乾杯に値する最高の快挙であったに違いない。