選評
思想・歴史 2011年受賞
『ライシテ、道徳、宗教学 ―― もうひとつの19世紀フランス宗教史』
(勁草書房)
1975年生まれ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。
フランス国立リール第三大学博士課程修了(宗教学専攻)。
東北福祉大学総合福祉学部講師を経て、現在、上智大学外国語学部フランス語学科准教授
著書:『社会統合と宗教的なもの―19世紀フランスの経験』(共編著、白水社)
イスラム・スカーフ事件以来、フランスが国是の一つとしてライシテ(脱宗教性)を掲げている事実は遍く知られるに至った。しかし、このライシテの原則というものがどのような歴史的背景から生まれ、後の社会にどんな影響を及ぼしたかという点に関しては意外に知られていない。
伊達聖伸氏の『ライシテ、道徳、宗教学』は日本人にとっていまひとつピンとこないこのライシテの問題について浩瀚な資料を渉猟して書き上げられた意欲作。
著者の問題設定は次のようなものである。フランスがライシテ原則の共和国体制をつくりあげたとき、宗教を科学的に研究する宗教学はその先兵となって新しい時代のライシテの宗教を創り出そうと試みたが、19世紀後半以後、宗教研究はそのような態度を放棄した。それはなぜか?また、いかにして、このような変化が起こったのか?
この問題設定に対し、著者は、それは、ライシテの道徳そのものがある種の宗教性を帯びるようになったからではないかという仮説を用意し、ユゴー、ミシュレのロマン派世代から始まって、コント、ルナンの宗教学に移り、ジュール・フェリーやビュイソンなどの政治家の思想へと至って、最後に道徳と宗教の問題を徹底的に考えたデュルケムとベルクソンを再検討に付する。
この系譜の中で著者が高く評価するのが、歴史を神学的段階、形而上学的段階、実証的段階と三つに分けたコントである。コントによれば、実証的精神は、長いあいだ神学的・形而上学的精神のなかで育まれ、そこから抜け出てきたものであるゆえに、宗教的精神と無縁のものであるどころか、むしろ宗教的精神を完成する最終形態だということになる、という。
これはいわば、時間軸に適用された弁証法のようなもので、コント的宗教史は、神学的・形而上学的精神の状態を記述するだけでなく、実証的精神の時代をも包み込んでいると理解される。
ここからコントは新たな社会にも宗教が必要だとして「人類教」という宗教の確立を主張するようになるのだが、この考え方を批判的に継承したのがデュルケムである。デュルケムはジュール・フェリーらのライシテの道徳の不充分性を突き、ライシテの道徳もまた「宗教的オーラ」を持つべきだとした。必要なのは、長いあいだ道徳の機能を助けてきた宗教的なものの中に合理性を発見し、道徳的なものと宗教的なものを統合しようとする努力である。
著者はまた、デュルケムは「研究対象(ライシテの道徳)と研究の枠組み(宗教社会学)の双方に『宗教的なもの』を知覚していた」と指摘しているが、これは著者の時間的弁証法の地歩に最も近いものだろう。
たしかに、ライシテの道徳の宗教性こそは、エゴイストだらけになって、道徳を引き受けるまともな人間がいなくなった21世紀の先進国がひとしなみに直面している問題であり、一見すると、我が国とは無縁のように見えるにもかかわらず、日本人にとってライシテの宗教性は決して他人事ではないのである。
哲学と歴史の双方に重大な問題提起を行った真の意味での力作である。
鹿島 茂(明治大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)