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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 2011年受賞

隠岐 さや香(おき さやか)

『科学アカデミーと「有用な科学」 ―― フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ』

(名古屋大学出版会)

1975年生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。
日本学術振興会特別研究員(PD)、東京大学大学院総合文化研究科特任研究員などを経て、現在、広島大学大学院総合科学研究科准教授。日本学術会議特任連携会員。
論文:「数学と社会改革のユートピア―ビュフォンの道徳算術からコンドルセの社会数学まで」(『科学思想史』(勁草書房)所収)

『科学アカデミーと「有用な科学」 ―― フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ』

 ヨーロッパの18世紀は「アカデミーの世紀」とよばれ、科学研究の中心は、今日のような大学ではなく、科学者の団体であるアカデミーであった。だが、当時はまだ社会の中における科学者の地位は自明ではなかった。本書が描くのは、18世紀フランスのパリ王立科学アカデミーを舞台として、科学者たちが自らの存在をいかに社会に認知させるかを試行錯誤していく足跡である。この歴史過程において鍵を握るのが、本書の題名にもある「有用な科学」という言葉である。
 たとえば初代の終身書記となり18世紀前半の科学アカデミーを主導したフォントネルは、数学と自然学が、実用的な技術への応用可能性だけでなく、精神的・哲学的と表現されうる高い次元の有用性を持つことを示し続ける。それは、17世紀からの「科学の共和国」という理念を維持しつつ、国王の庇護下にある「技能団体」という枠組みを通して社会との関わり方を追求していく試みであった。
 18世紀後半に入ると、科学アカデミーは啓蒙主義者に征服され、その中で生活世界に根ざす有用性を求めるビュフォン的科学観と、純粋理論研究の長期的な応用可能性を重視するダランベール的科学観とが対立する。だが、この対立を乗り越えようとしたのが、最後の終身書記となったコンドルセである。彼は、マージナルな数学であった確率論が、自然現象のみならず社会現象をも記述できる科学言語となりうるという構想をもつ。それによって、科学の「有用性」が純粋な理論研究とともに、人間社会の統治に関する研究やその応用としての行政の合理化にまで及びうると考えたのである。事実、1780年代に入ると、科学アカデミーに「エコノミー」という分野が突然登場することを、隠岐氏は指摘する。そして、その名の下に政治経済的な主題を扱い始め、さらに病院設計や人口推計や運河調査などにも積極的に関わるようになる。国王が庇護する「技能団体」から、国王、さらには社会に対して「勧告する機関」への一歩を踏み出したのである。
 確かに、フランス革命の混乱の中で、科学アカデミーは廃止され、コンドルセは獄死してしまう。だが、隠岐氏は、専門職業という近代的な科学のあり方は、まさに18世紀における科学アカデミーの「有用な科学」をめぐるこのような経験の上に築き上げられたものであったと結論するのである。
 本書はまずなによりも、一次資料を駆使した一級の科学史研究である。だが、本書を注釈だらけの分厚い博士論文以上の作品にしたのは、隠岐氏が、「有用性」と「エコノミー」という二つの言葉に関して、今ではほとんど失われてしまった古典的な意味を歴史の中に甦らせたことにあるだろう。「有用性(utilité)」とは、古代のラテン世界では、技術への応用や経済的な利益という現代的な意味とは異なり、「公共善」を追求するという高度に精神的な価値を指していたこと。そして、日本語で「経済」と訳される「エコノミー(économie)」の古代ギリシャ時代の語源は「オイコノミア」、すなわちオイコス(家共同体)のノモス(統治術)であり、それは社会をいかに統治するかに関する科学という意味をもっていたことである。
 私たちは、この二つの言葉の古典的な意味に導かれて、科学が社会の中に自らの位置を築いていく道のりを臨場感を持ってたどることができた。科学史の分野にこのような力のある研究者が登場したことを喜びたい。だが、とりわけ公共善としての「有用性」という言葉が、現代における科学と社会との間の複雑な関係にどういう視座を提供してくれるかは、本書からはまだ十分には見えてこない。科学に対する信用が大きく揺らいでいる今、若い著者のさらなる研究を待ちたい。

岩井 克人(国際基督教大学客員教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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