選評
芸術・文学 2003年受賞
『花鳥・山水画を読み解く ―― 中国絵画の意味』
(角川書店)
1952年、千葉県千葉市生まれ。
1980年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退(東洋美術史学専攻)。
京都大学人文科学研究所助手、三重大学人文学部助教授を経て、1995年より実践女子大学文学部美学美術史学科教授。この間、中国北京・中央美術学院に留学、ハーバード大学イエンチン研究所招聘研究員、ロンドン=インスティチュート客員研究員、台北・国立故宮博物院客員研究員を勤める。
専門は中国絵画史。
著書:『故宮博物院5 清の絵画』(編著、日本放送協会出版)、『世界美術大全集 東洋編8 明』(責任編集・著、小学館)など。
これまで中国絵画を論じた書物と言えば、作家論でなければ、筆法、構図などの様式分析か、「気韻生動」論のような画論の研究に基づくものが中心であった。近年になって、中央アジアやインドなどのより広い全体像のなかで中国絵画を改めて見直そうとする試みも行われているが、それももっぱら表現技法や主題の交流、影響、推移に注目したものが主であった。だがここに、まったく新しいアプローチによって中国絵画の広大な領域に果敢に挑み、新鮮な視野を切り拓いて見せた優れた労作が登場した。宮崎法子氏の『花鳥・山水画を読み解く』がそれである。本書は、その題名にある通り、中国絵画の主要なジャンルである花鳥画と山水画について、そこに描かれたさまざまのモティーフの意味を、社会的、思想的背景から解き明かし、それらが当時の社会構造や人々の価値観と密接に結びついていることを説得的に説いたものである。単に何が描かれているかを明らかにするだけではなく、その解釈を通じて中国文化の奥深い拡がりを照らし出している点で、それはイコノロジー(図像解釈学)の優れた成果と言ってよい。
例えば、北宋の山水画に登場する人物たちがほとんど常に旅人と漁師(およびその家族)であることを多くの具体例によって明らかにし、さらに、なぜ農民ではなくて漁師がそれほどまで好まれたかという理由を、『楚辞』や『荘子』を援用しながら、漁師が単なる労働者ではなくて自由な境遇を象徴する存在であり、「隠逸」の象徴とされていたという点に見る「読み解き」がその見事な例である。そう言われてみれば、日本にも大きな影響を及ぼした理想郷としての桃源郷を訪れたのが漁師だったという故事も充分に納得が行く。まさしく眼から鱗の思いである。また、花鳥画にしばしば見られる草木虫魚のモティーフも、単に自然の世界を写し出しただけのものではなく、例えば「金魚」は「金余」(裕福)と同じ発音であるが故に吉祥の寓意となり、同様に通音の原理によって「連年有余」(毎年裕福であること)の願いを表すものとして蓮(連)や鯰(年)や魚(余)が好んで描かれたという指摘は、思いがけない視野を開いてくれる。その他「藻魚図」や竹葉、牡丹、芙蓉などの花木、あるいは兎、鹿などの動物が長生や富貴などの現世的願望の意味を担っていることを説き明かす過程も、新鮮な知的感興を覚えさせる。これらさまざまな図様の分析と解釈によって、いわゆる文人画や画院画などの高尚な世界と、日常用いられる食器や家具の装飾という「俗」な世界のあいだに意外に通底するものがあるという社会的な拡がりを明らかにしたことも、本書の大きな功績である。特に芸術の社会的受容に関して、現実に生活を営む女性たちの役割を重視していることも見逃せない。美術史的には最新の研究成果を充分に踏まえながら、卓抜な発想と詳細な分析で中国絵画への新しい見方を提示している点で、本書は大きな収穫と言ってよいであろう。
高階 秀爾(東京大学名誉教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)