活動詳細
岡山県 岡山市 2003年受賞
桃太郎少年合唱団
40年の歴史を持ち、海外とも活発に交流を続ける日本屈指の少年合唱団
代表:棚田 国雄 氏
2003年8月更新
ウィーン少年合唱団といえば、わが国でもよく知られているが、初めて日本を訪れ、公演したのは昭和30年代のことである。その影響もあって日本各地に少年合唱団が次々と生まれ、多いときには40近くあったとも言われる。
1962年、岡山国体開催を記念し、当時の三木行治岡山県知事の提唱で「青少年の健全育成と地域音楽文化向上に資する」ために、桃太郎少年合唱団が設立された。以来40年余、少年合唱団が次々と解散するなか(現在約10団体)、毎年、定期公演の開催、全日本少年少女合唱祭・全国少年合唱団大会への出場、また県内外の公的行事や各種イベントに参加するなど、活発な活動を展開している同合唱団は、全国でも今や貴重な存在である。こうした活動は岡山県下の合唱活動の活性化、地域の青少年の文化活動の振興に貢献しているだけでなく、日本の少年合唱団活動の維持発展に大きく寄与している。
注目すべきは、同合唱団の積極的な海外交流活動である。1980年のハワイ訪問でのホノルル少年合唱団とのジョイントコンサートを皮切りに1983・1986・1994年中国洛陽での洛陽少年合唱団との合同演奏会、1989年西独・ケルン大聖堂、ボンのベートーヴェン記念館、ウィーンのフィガロハウスでの演奏、1990年シドニーで開催されたジャパンフェスティバルへの出演、さらに1997年ドイツ・レーゲンスブルク大聖堂での演奏と、枚挙にいとまがない。
1999年にはウィーン少年合唱団と、世界初の合同合宿練習を、現地オーストリアで1週間にわたって実施した。その結果として、日本の少年合唱団による初めての、合同演奏会に結実したことは特筆される。これは桃太郎少年合唱団の演奏技術の向上や、両合唱団メンバーの親善だけでなく、岡山県とウイーン市の国際文化交流の促進にもつながっている。
また、国内においてもプロの音楽団体との交流演奏会を積極的に展開している。ドイツ・バッハゾリステンの「マタイ受難曲」演奏、中国二期会のオペラ公演、2002年にはリッカルド・シャイー指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団のマーラー交響曲第3番に出演するなど、きわめて多彩である。さらに演奏だけでなく、岡山出身の作曲家に少年合唱のための新曲の作曲を多数委嘱し、その初演活動を継続して行うなど、少年合唱曲の普及活動にも貢献している。
現在の団員は約70名。団員には小学生を中心に、一部中学生・高校生も参加している。近年の少子化傾向は少年合唱の世界にも大きく影響を及ぼしており、団員の確保が以前ほど容易ではなくなって来ている。こうした時代環境のなか、演奏レベルの向上、組織としての団を維持して行くには、棚田国雄団長をはじめとする事務局の一層の努力、保護者の理解、練習所・事務所を提供している岡山県の継続的な援助等が、今後ますますその重みを増していく。