SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2008年4月24日

#143 田代 智史 『感動する人生を送りたい』

◆怪我から生まれたトレーナーの芽

スピリッツ画像1

—— どこの生まれですか?

静岡県御殿場市です。御殿場は静岡県の中でも寒く天気予報で「ところにより雪」と言えば御殿場で降ることが多いです。富士山の御殿場口まで車で1時間くらいの所です。

—— 高校まで静岡にいたんですか?

そうです。御殿場小、御殿場中、御殿場南高校と行きました。

—— スポーツは何かしていましたか?

中学からずっと野球をやっていました。小学校では4年生から6年生までサッカーをやっていました。ポジションはバックスをやっていたので、ディフェンスばかりで点も取れず、バックスの楽しさが分かるだけの玄人にはなれませんでした。
ソフトボールもやっていたので、サッカーとは違う球技の魅力を感じ、中学からは野球を始めました。

—— 野球を始めてからは?

中学校ではキャプテンをやっていました。ポジションはセカンドでした。高校ではセカンドかショートでした。バッティングはカーブが打てませんでしたね。タメがないので、すぐにだまされちゃうんです。

—— 野球はいつまでやったんですか?

高校までです。大学からはトレーナーを目指そうと思って体育学部のある大学(中京大学体育学部)に行きました。

スピリッツ画像2

—— なぜトレーナーになろうと思ったんですか?

野球をやっていた時は勉強よりも野球に力を入れる毎日だったんですが、高3の夏の大会の前に怪我をして、ボールもろくに投げられない状態でした。ただ、自分はショートとセカンドで守備はある程度良かったんですが、バッティングがいまいちで、レギュラー争いに残るために怪我を隠して練習していました。周りの選手はウエイトトレーニングをしていなかったのですが、僕はウエイトトレーニングにも力を入れていました。
バランスの悪いウエイトトレーニングが肩の怪我に良くないということも知らずにウエイトをやっていたのもあり、怪我が悪化してしまい、夏の大会に出場できないという状況でした。チームの為に何かしなくてはと思って、球拾いしたり、声出しをしたり、パートナーストレッチなど自分にできることを探してやっていました。
そんな時に地域新聞の野球特集の小さいコーナーの取材が来たんです。チームにこれと言ってすごい選手がいなくて、1人練習に参加せずにサポートをしている3年生がいるということで、目につく存在になり僕が取材を受けることになりました。これをきっかけにサポートの重要性を感じるようになりました。

その時に怪我のリハビリで地元の病院に通っていたんですが、その病院にはリハビリ施設の他に、本格的にトレーニングを行う運動施設もありそこの専門家に、当時自分が独学でやっていたウエイトトレーニングのアドバイスをもらったり、リハビリや肩のコンディショニングトレーニングを受け、選手をサポートすることの深さを知りました。
そこで初めて理学療法士やトレーナーという職業を知り、スポーツを深く学びたくて体育大に行くことに決めました。

スピリッツ 画像3 スピリッツ 画像4

◆スポーツに関わりたい

—— なぜ理学療法士ではなく、トレーナーにしようと思ったんですか?

スポーツに関わりたいというのがいちばん大きかったですね。僕の中で、「感動をする人生を送りたい」という思いがありまして、高校の時くらいから意識するようになりました。やっぱり頑張っている人は人に感動を与えると思うし、自分が一番頑張れたのがスポーツだったからです。

なぜ感動を求めるのかは、中学校でキャプテンをやらせてもらえた影響かもしれないですね。僕より上手くて中心人物的な人が他にいたんですけど、先生からキャプテンに指名されてどうにかチームをまとめようと考えた結果は、チームのみんなが1日1日を大切に練習できるような目標設定を示すことだったんです。毎日ダラダラ練習をしないで、充実した毎日を送ろうよ、ということを考えていました。もしかしたら、その時の経験が感動に繋がっているのかもしれないですね。

—— では、キャプテンをやった経験はいい経験になりましたか?

いい経験でしたね。部員が40人ぐらいと少なかったですけど、様々なプレッシャーを感じながらも良いチーム作りのため試行錯誤していました。

スピリッツ画像5

—— 体育大に行くことを決めてからは何をしたんですか?

体育学部を受験するには学科試験の他に実技試験がありまして、その実技試験の種目のパフォーマンスを上げるため、リハビリをみていただいていた櫻井さんという方に、トレーニングメニューを作成していただきました。受験勉強をしながらそのメニューをこなす毎日でした。

その結果、無事大学に合格することができ、その報告も兼ねて櫻井さんに挨拶をしに行ったんです。そしたら、大学のトレーニング施設のある方を紹介していただき、入学1週間前からその方のもとで施設の管理や運営の手伝いをしながら、トレーナーとしての勉強もさせていただきました。

—— では、大学4年間をその人のもとで学んだわけですか?

その方は、僕が大学3年の時に退職されたため、2年間はその人のもとで勉強をし、3年の時は独学で勉強しました。4年の時は鍼灸をやっている方と出会いがあり、その方のもとで勉強をしました。

—— 大学生でトレーナーをしていたんですか?

そうですね。ウエイトトレーニングをする施設が1か所しかないので、スポーツをやっている選手が来るんです。そこでウエイトトレーニングやリハビリを見ていました。チームの練習中にその施設にいる選手は、だいたい怪我をしている人なので、その人のウエイトトレーニングやリハビリを見ていました。

スピリッツ画像6

—— 学生時代にトレーナーとして活動をしていると、職業としてのトレーナーを考えるわけですよね?

3年生の時には独学で勉強をしていたのですが、バルセロナオリンピックで4×100mリレーに出場した杉本龍勇(すぎもとたつお)さんのトレーニング後のコンディショニングをさせていただいていた時に、独学ではなく指導を受けながら勉強をした方が良いのではというアドバイスをいただき、愛知県陸上協会のトレーナーの方を紹介していただいたんです。それで、その方がやっている大学近くの鍼灸の治療院で勉強させてもらいました。

その時初めて、トレーナーを職業としている人の下で勉強をして、トレーナーという職業の深さや鍼の面白さ、また自分がどれほど小さい人間かということも感じましたね。その経験から、大学卒業後に鍼灸師の国家資格とアスレティックトレーナーの資格がどちらも取れる神奈川衛生学園専門学校に進学することを決めて、専門的に勉強をしました。

就職先を色々と探している中専門学校のOBの方に現在勤務している有限会社リニアートを紹介していただき、縁もあり就職させていただくことになりました。

スピリッツ 画像7 スピリッツ 画像8 スピリッツ 画像9

◆コミュニケーションの重要性

—— サンゴリアスの現場はどうでした?

ラグビー経験もなかったので、すごく、大変でした。今、2年目なんですけど、1年目は自分が出来るべきことが出来ていない状態でした。ですので、淳平さん(吉岡トレーナー)にかかる負担が大きかったと思います。ただ、マッサージはある程度出来たので、その点は多少サポート出来たかなと思います。テーピングの感覚をつかむまでは一苦労で、選手の信頼を得るのに苦労しました。

—— 淳平さんは優しい先輩ですか?

はい。もし淳平さんがいなかったら、今の僕はなかったかなと思います。

—— では、2年経ってほぼ出来るようになりましたか?

まだまだです。淳平さんや他のメディカルスタッフとコミュニケーションをとってアドバイスをもらいながらやっています。シーズン終盤に、淳平さんが怪我人の付き添いで練習を離れた時にグラウンドサポートを一人でやったことがあったのですが、それは自分の自信になりました。

—— 1番大変なことはなんですか?

トレーナーとしての選手とのかかわり方ですね。選手の要望にすべて答えることが必ずしも良いことではなく長期的なことを考えてサポートをするよう心がけています。トレーナーは経験値が必要な職業なので、そこが一番大変なところです。小さなことが大きな怪我に繋がりかねないので、淳平さんとしっかりとコミュニケーションを取って2人でやっているんです。

—— では、最後に今後の目標は?

今シーズン、僕の仕事の中でも後悔したことがあって、水を1つ出すだけでも練習の流れやチームの雰囲気作りに繋がることがあるなって感じるので、2冠を取れるチーム作りのサポートが出来るようにしたいですね。個人的な目標としては、1選手の怪我から復帰するまでをしっかり見れるトレーナーになりたいです。しっかりした立ち位置で揺らがぬ信念を持ったトレーナーになりたいです。

スピリッツ 画像10 スピリッツ 画像11

(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]

一覧へ