2006年9月26日
#48 上村 康太 『相手をタックルでひっくり返した時の歓声が最高』
◆激しいタックル
—— 社会人4回目の開幕を迎えました
1年目がトップリーグ開幕の年でした。今年と同じく神戸製鋼戦でしたが、あの時は自分の1年目でありトップリーグ1年目でもあるので、夏合宿から「開幕戦に出てやる!」というモチベーションが高かったですね。2、3年目は初戦に出られなかったけど、今年も夏合宿から初戦に賭ける気持ちには、熱いものがありました。
春はずっとAチームでやらせてもらっていて、リコー戦前に怪我をして出られなくなって、夏合宿ではBチームで3試合あって、体も戻らず辛い立場でやっていたんですが、Aチームのスタメンを取れたここがスタートです。自分にとって自信になるし、これからちゃんとやっていかなきゃいけないと思っています。いい状態です。
—— 何処が良かったんでしょうか?
春の最後に怪我をしてしまいBチームになってしまってからも、常に一発のタックルで倒すということを意識してきました。夏合宿の試合とプレシーズンマッチの東芝戦で、自分の持ち味の激しいタックルを見せることができて、開幕戦に起用してくれたんだなと思っています。
オープンフランカーとして、清宮さんに求められてる細かいプレー、ボールに対してのいやらしさや痒いところに手が届くプレーも、自分ではやっていきたいと思っています。
—— 清宮監督とは早稲田大学時代に重なっていますね
大学3、4年生の時に監督と一緒です。4年生の時に優勝させてもらった監督ですし、その時も、練習も試合も楽しくやっていました。どうやったら勝てるか分かっている監督であり、期待が大きいですね。また優勝できるかもしれないという期待があります。
—— 大学時代と現在と、監督が変わったと思うところは?
ラグビーという点ではそんなに分かりませんし、気づかないですね。生活面で学生に対する態度と、社会人、大人に対する態度は違うなと思いました。学生の時の方が、どちらかというと先生っぽかったです。
今の方が兄貴に近い感じです。レクリエーションを一緒にやったり、普段の生活でも食堂でフレンドリーに同じ仲間として話しかけてくれるし、ミーティング中の雰囲気も明るくて、同じ仲間という立場ですね。学生時代から怒るって感じじゃなかったし、今もぜんぜん怒らないですし。
—— 自分自身は変わりましたか?
2年目、3年目、永友さん(洋司/前監督)のもとでやってた時も、試合に出られない時とかありましたが、自分は腐ってもしょうがないので、自分が出られないことには理由があると思って、常に課題を持ち、腐らずにBチームからでも這い上がろうとしていました。その気持ちは、この3年間も今回の夏合宿でも変わっていません。
あまり昔のことって覚えていないし、去年の試合とか全然覚えていなくてわからないんですが、この3年間は毎年3~4試合出ているぐらいだと思います。もうちょい出ているかな?スタメン、リザーブ合わせて。
◆丸1年半、怪我しなかった
—— そういう中で特に印象に残っていることは?
1年目の開幕戦です、国立で神戸とやった試合です。1年目で開幕戦レギュラーを取れて、前半に外国人ロックが突っ込んで来た時に、低いタックルでささりました。そういう一発のタックルを含めて、調子は良かったと思いますし、自分の求めていたプレーができていました。
後半、サイドでボールをもらった時に、大学の同期の高森(雅和)と接触して、膝の半月板を損傷したんです。手術して、3か月休むことになりました。
その時の傷は今はもう大丈夫ですし、その時も気持ちは大丈夫で、そんなに落ち込まなかったですよ。ラグビーがもうできない、ということでなければ、怪我をしても落ち込みません。
今までデカイ怪我をしたことがないこともありますが、膝の怪我も3か月過ぎてシーズンも深まれば、復帰できるとその時も思っていましたから。怪我はちょこちょこしてますし、だいたい靭帯の2~3か月の怪我です。1年間できない怪我とか、骨折もしたことがありません。
社会人に入って2年目までは、大学時代からずっと靭帯やら足首やら何かしら怪我していました。シーズンをフルにできたことがなかったんです。去年の社会人3年目に入って、新田さん(博昭/フィットネス&ストレングスコーチ)と一緒にウエイトで体を作りました。
バランスを作るためにパワークリーンを、すごくやったんです。練習でも個人的にも、ほぼ毎日やるようにしたら、重りももちろん上がってきたし、体のバランスや膝も強くなりました。それで3年目から今年の春まで、丸1年半ぐらい怪我しませんでした。それはだいぶ久し振りのことでした。大学1年生の時以来ですね。
—— パワークリーンとは?
全身運動です。瞬発力もそうですし、パワー、ジャンプ力もそうです。ぜんぶを使う動きなんですよ。去年から毎日続けていて、今年はそんなに毎日やっていないですけど、余裕がある時には練習後にもやっています。
—— 学生時代にいちばん印象に残っているのは?
4年生の時の大学選手権の決勝戦ですね。リザーブで後半20分ぐらいから出場して、相手の関東学院大学の1番の立川(大介/三洋電機)というプロップを、ラインアウトで突っ込んだ時に僕が膝にささって、退場させたんです。相手のキーマンの1番を。
僕は僕でそれで記憶が飛んで、試合中のラインアウトのサインもわからず、高森と大悟(山下)に怒られるんですが、ノーサイドも分からなくて優勝の感動もぜんぜんなく、何の試合だったかもわからずに電光掲示板を見て「あぁ、関東学院との試合に早稲田が勝ったんだな」という感じで、実感がないんです。
表彰式でトロフィーを主将の大悟がもらい、副将の僕が賞状をもらって、だんだん大学選手権で優勝したんだなと分かってきて、「荒ぶる」を歌っている時に、ようやく実感できました。その時の写真が家にありますが、皆喜んで一斉に飛び上がっているのに、僕は1人だけボーッと立っているんです、ヘッドキャップを取りながら。どこかの新聞の写真なんですが、パネルにしてもらって家に 飾ってあります。
◆生まれて初めてのタックルで相手は救急車
—— ラグビーを始めたのは?
中2の春です。2人兄弟の3つ上の兄が野球をずっとやっていて、僕も野球をやっていました。僕が中2の時、兄が高2で、兄は高校(都立大泉高校)に入ってラグビーをやっていたんです。僕が中学の時にいろいろと悪さしていたら、「そんなことやってんだったらラグビーで発散しろ」と兄貴に言われ、杉並ラグビースクール、ここ今は中村直人コーチの息子の拓磨くん(たくま)が入っているところですが、そこに紹介されて入ったんです。
野球では発散できなかったんですね。ラグビーでは発散できたし、更生できました。ラグビーっていうスポーツは、100%人にぶつかれるわけですから、発散できるんです。僕の今のプレーはそこからきています。相手をタックルでひっくり返した時に、歓声がワーッって湧くでしょう。このあいだの東芝戦もそうでしたが、それが最高で、歓声が上がって、ヨッシャーっていう気分です。
自分も飛んじゃうことがよくあるんですけど(笑)。いちばんひどかったのは、U19代表でウェールズへ遠征して、ルーマニア戦の後半20分に飛んじゃった時で、この時は気がついて起きたら、もう皆帰る準備をしていました。
—— 杉並ラグビースクールでは最初からハマったんですか?
杉並ラグビースクールに入って、ラグビーをまったく知らなかったんですが、ボールがきたら持って走れ、ボール持った相手がきたらタックルしろと言われて、出された試合の生まれて初めてのタックルで相手をぶっ倒したんです。相手は救急車で運ばれて、僕も脳震盪で退場。
みんな周りを囲んで、ラグビーをやるために生まれてきた、なんて言ってくれていた中で、東芝のエレベーターの文字を見て「サザエさん、サザエさん」と言っていたらしいですよ、僕は(笑)。そうなんですよ、こないだのプレシーズンマッチの東芝戦のグラウンドがデビュー戦だったんです。東芝か練馬のラグビースクールとの試合でした。
—— これまでで最高の快心のタックルは?
さっき言った、関東学院とやった決勝戦で、立川を退場させたタックルです。もうその時は歓声も聞こえないし、僕はイッちゃってました。両親も見に来ていて、陰では心配していたかもしれないですけど、喜んでくれていたと思います。普段から頭とか眼を切って帰っても、家では何も言われなかったですね。
—— お兄さんは?
兄貴はラーメン屋をやっています、経堂の「虎」というお店です。農大側のピーコックを入って行ったところで、駅から歩いて3分です。お薦めは「スタミナラーメン」のホット。冷やしっていうのもあるんですが、ホットがお薦め。水戸のご当地ラーメン、東京初上陸だそうです。以上、宣伝ですが、僕もちょくちょく行ってます。
兄貴はスーパー14とかトライネーションズとか、よく見ていて僕より詳しいんです。選手としては最後は大学でサークルでやっていて、120kgぐらいあってプロップでしたが、膝を痛めてしまいました。その兄貴がよく見ていて、コメントをくれたりします。
例えば僕のプレーは、タックルとかダイビングプレーになって、すべて飛び込むプレーになっちゃうこともあるんですが、もっと立つようにしたほうがいいとか、ニュージーランドのリッチー・マコウ選手がいいプレーをしてたから、その試合を見て勉強しとけと、スカパーをDVDに焼いてくれたりとか、DVDはいつもくれます。店をやっているから、兄貴は応援にはめったに来れません。
◆環境がすごくいい
—— これまでの代表歴は?
高校、U19、U21、日本A代表、日本選抜.....あとジャパンだけですね。常にジャパンは目指しています。サントリーでレギュラーを取って、チームも優勝すれば、たぶんスカウトも見てくれるのではと思いますが、選ばれればと思って常に目指しています。
—— 会社では営業ですか?
はい、量販店の営業をやっています。サントリーでラグビーをやりながら営業できるというのは、環境がすごくいいからです。栗原さんという課長は元ラグビー部ですし、支店長は稲垣さん(純一/シニアアドバイザー)ですし、得意先も慎さん(長谷川)、直弥さん(大久保)が代々担当してきたお店ですので、すごく応援してくれるんです。東京で試合の時は見に来てくれるし、支店も皆すごく応援してくれて、本当にいい環境にあって感謝してます。
—— 結婚は?
社会人2年目になった時の4月に結婚しました。大学の時からの同級生ですが、彼女も働いているので、試合を見に来れません。来年の1月に子供が生まれる予定です。
—— ラグビーの面白さは?
100%ぶつかれる、しかも頭を使う、格闘球技、この3つです。試合よりも練習中に頭を使います。試合中は頭を使わなくても動けるように、練習中に頭を使っていないと試合では動けません。試合中は本能だけで動いている感じですから。
—— そうすると勉強は得意でしたか?
いや、得意だったのはぜんぶ実技です。家庭科、図工、音楽、体育、ぜんぶ「5」でした。家庭科の実技は点数が1.3倍されるんですが、得意でしたね。歌も楽器も得意でした。中学校では太鼓をやったし、リコーダーも優秀な成績でした(笑)。中学の時はバンドをやっていて、ベースギターでした。リードギターは指が太すぎてできませんでした。長渕剛さんに憧れているので、ギターはまたそのうちやりたいですね。
指先が器用だったので、家庭科の刺繍もできましたし、調理実習もリーダーでやっていました。親父が中華料理の調理師で、僕が小4ぐらいまでは、おかんと一緒に店をやっていました。だから将来親父と一緒に店をやりたいんです。ずっとラーメン屋がやりたかったんですが、サントリーに入ったので辞められないと思っています。
もし将来お店をやって、お店に名前をつけるとしたら「龍」にします。「タイガー&ドラゴン」ですね。むかし親父の店は「大元」(たいげん)という店だったので、それを復活させたいですね。親父は今、お店に勤めてますが、西荻窪の南口駅前の「とみや」という中華料理屋です。これも宣伝ですが、耕太郎(田原)も絶賛!ですよ。
(インタビュー&構成:針谷和昌)