SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2006年7月20日

#31 瀬川 貴久 『大舞台ではふだん出せないパワーが出せる』

◆いろんな運動をやりました

—— いま調子はいいですか?

すごく調子いいです。怪我もなく、春のゲームにも最後まで出させてもらって、なおかつ違うポジションへのチャレンジのチャンスを、清宮監督からいただいているんで。

—— ナンバーエイトでなく新ポジションでレギュラーを狙う?

そのつもりです。春からナンバーエイトは1回もやっていないので、いまはセンターとウイングのポジションを日々勉強しながらやっています。自分なりにいまはそっちの方を中心にやりたいですね。

—— センター、ウイングは初めてですか?

高2(盛岡工業高校)のときに一度、半年ぐらいやりましたが、ここまで本格的にやったのは初めてです。そのときは、チームの状態がバックスが小さくて、前へ出れないことになって、高1のときからバックローをやってたんですが、足も遅くなく、人には強かったので、高校の監督に起用されました。

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そのときは難しいことを求められていなくて、パスなんかの器用なプレーではなくて、シンプルに出ていって前へ行け、みたいな感じのことを求められていました。その頃は自分なりに、ナンバーエイトへの憧れやかっこ良いというイメージが強かったので、早くナンバーエイトに戻りたいなと思いつつやっていました。

—— 運動神経、かなり良さそうですね

子供の頃、小学校(花巻小)の頃からいろんな運動をやりました。球技全般と水泳、岩手なんでスキーもやってました。球技は野球、バスケットボール、バレーボール。サッカーはやってません。野球はスポーツ少年団でやって、バスケは本格的に小学校の部活でやってましたし、課外授業ではバレーを専攻してました。そうやって幅広くやっていましたね。

◆バスケットがいちばん好き

—— その中でいちばん好きだったのは?

バスケットがいちばん好きでした。でもそのときはバスケット部がきつくて、何度も辞めようと思いましたが、周りにいる友達と一生懸命やって、花巻市の中でいちばん強い小学校になりました。水泳とスキーは夏と春の期間限定で、息抜きみたいな感じでやっていましたが、大会のときに助っ人で呼ばれていました。

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いろんな運動をやったのは、両親もスポーツをしていたというのもありましたし、家にいるぐらいなら外で遊びなさいという家だったんです。幼稚園の頃は木に登ったり川で泳いだり、田舎なんでよく山とかへ行ってました。虫取りなんか木登りに繋がるし、冒険ごっこをしたり、はしゃいで遊んでました。怪我は、擦り傷、打撲 ならしょっちゅうでした。

一度崖から落ちたことがあって、原因はよく覚えてないんですが、城跡の崖みたいなところの端っこで遊んでて、転げ落ちちゃったんです。ちょうど雪がクッションになって、打撲で済みました。

 *横を浅田朗が通りかかり「『俺は美しい』って書いといてくださいね、そうだろ?」とインタビュー中の我々に声を掛けていく。

—— そういう趣味があるんですか(笑)

いやいや言われてるだけです。みんなから、メンズエステに行ったとか行かないとか言われてるんですが、カタログをもらった場面を誰かに見られたんですね。そういうくだらないことから始まってるんです(笑)。

—— いろんなスポーツをやったのはご両親の影響ですね

自分の意志でもありました。親からも、期待されて呼ばれてるんだったら、せっかくだからやりなさいと、どんどん薦められたということもあります。もともと外で体を動かすのが好きでしたし。

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◆高校でラグビーと出会う

—— ラグビーとの接点は?

中学(花巻中)でバスケをやって、高校でラグビーと出会いました。中学のときから、大学には行きたいなと考えていて、それは勉強とスポーツ、どっちでということでなくて、単純にそう思っていたんです。体を動かすのが好きで、スポーツが好きで、どうせならスポーツで行けないかなと思っていました。

中学でバスケを続けていましたが、その頃身長は180cmぐらいあったけど、全国大会に行けば自分より高い人はごろごろいたんで、無理だな、続かないなとちょっと思っていました。体を動かすのが好きな上に、昔っから喧嘩っ早いところというか、やんちゃなところがあって、だんだんボクシングをやりたくなってきたんです。それでジムに通ったんです。

中学総体が終わって、負けたら受験勉強な訳ですが、ボクシングが強い高校に体験入学に行ったりしました。結果的にボクシングは親に猛反対されました。脳をおかしくしたり、網膜剥離になる可能性もボクシングにはあるのでやめなさい、と言われ続けました。練習は本格的にプロの選手とかともできましたし、スパーリングまでやれたので、楽しさを味わうこともできました。

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球技が好きで、走るのもそれなりに速かったので、2つ合わせ持った競技を考えると、アメフトかラグビーになる訳です。岩手にはアメフトをやっている高校はありませんでした。ラグビーは、盛岡工業と黒沢尻工業が全国大会の常連でした。

黒沢尻の方は家から近かったんですが、体験入学で学校へ行ったときに、校風というか見た感じがちょっとヤダな、ここは行きたくないなと思ったんです。それでこのころは盛岡工業の方が強いこともあって、どうせやるなら強いところ、ということで盛岡工業を受けて入りました。

◆格闘技が好き

—— 初めてのラグビーはどうでしたか

パスにしてもボールが丸くないんで、ぎこちなかったですね。いままでの球技と違うな、と思いました。インドアで体育館でやっていた球技とはちょっと勝手が違って、外なので天候やグラウンド状態で条件がその都度違いますよね。でもスタミナには問題ないし、慣れれば大丈夫、行けそうだな、という感触はありました。

小中で周りにいたメンバーは、ラグビースクールでやってきていたので、パス回しなんかがすごく上手いんです。自分に比べたら単純に上手い。それで自分は格闘技が好きだったし、ひたすらウエイトして体を作って、強い選手になれたらなと思いながらやっていました。

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朝早くから学校へ行ってウエイトやって、練習が終わってからもウエイトをやって、最初はごく少人数でやっていたんですが、だんだんそういう空気になってきて、みんなもやり始めました。それに伴って、食事する回数が増えていきました。朝の練習が終わった後におにぎりを食べたり、昼にプロテインを飲んだり、ウエイトと食べるのの繰り返しで、体重を増やすことができました。

 *ここでまた横やり、今度は長谷川慎が来て「この、ナカタスタイルの髪型のこと、ぜったい書いてくださいね」と言って瀬川選手の頭を触りながら立ち去る(確かにサッカーの中田英寿選手の髪型に似ているが、それにしても瀬川選手は皆に愛されるイジラレキャラ?)

—— その髪型はいつからですか?

大学3年ぐらいからです。どうしてもこうなっちゃう。ほんとはトサカじゃないですけど、もっと後ろを長くしたいんですけどね。

—— 閑話休題、高校で試合に出たのは?

1年の最後の方からですね。3年のときには何十年振りかの花園ベスト8でした。1年から一緒に続けてきたメンバーで、いい結果が出せました。1年のときも花園に出ましたが、1回戦か2回戦で負けています。高3のときはバイスキャプテンでした。

◆人生初の寮生活

—— そして大学へ

帝京大学の岩出監督(雅之)が高校の試合をよく見に来てくださっていて、誘われていました。盛岡から行った先輩も何人かいて、情報がよく入ってきていたので、行こうと思いました。最初は人生初めての寮生活で、慣れない部分がありました。自分の時間がないし、集団生活なんでルールがあって、自由が利くところとそうでないところもあるし、先輩にもやっぱりいろいろ頼まれたりして買い出しに行ったりしてましたね。

全寮制で、120~130人いましたが、3人1室で4年生が部屋長で、あと2年生と1年生とか。1年の最後には慣れましたが、4年間の寮生活でした。寮は八王子市にあります。シゴキとかはまったくなかったですよ。

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—— 試合の方は?

1年からナンバーエイトで出させてもらって、そのまま強さを活かしたプレーをやっていきました。監督から求められることも一緒で、強さを活かして前へ、そのひとつだけだったんで、結構自由にやれた部分があったし、比較的やりやすかったと思います。

相部屋も、終わってみれば仲が良かったんで心地よかったかな。寮では1日中ハダカでいたりとか、寮の備品とかを壊したりとか、暴れたりとかして、僕だけじゃないですけど、悪いことは結構しました。外では暴れなかったですけど。

—— サントリーに入ったのは?

大学3年の秋か冬から、就職してもラグビーをやりたいと考えていました。ラグビーが強いところへ行きたかったし、気持ちの中ではサントリーも視野に入れていました。ひょんなところというか、地元の同級生の母親が、吉田秀彦さん(格闘家/バルセロナ五輪柔道金メダリスト)がたまたま明治大学のコーチをされていて、サントリーとの関係も持っているようだよ、ということで紹介してくれたんです。

それで吉田さんにお会いして、就職のアドバイスをもらったんですが、そのアドバイスもあって、サントリーに決めました。それからPRIDEとかも見に行くようになりました。吉田さんのデビューのときも見て、かっこいいなぁと単純に思って、そっち(格闘技)にも行きたいと思いましたが、現実的じゃないなと(笑)。

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親の顔も目に浮かんだし、親もラグビーには食事面とかすごく協力してくれましたから。吉田さんの試合はテレビではいつも見てますし、東京ドームとかの近場でやるときには、会場に見に行くようにしています。

サントリーに入ったいちばん大きな理由は、仕事がしたかったからです。東芝やNECだと、工場の中で働く仕事だと思って、それよりも外に出て仕事がしたいと思ったんです。そういう情報しか入ってこなかったんで、何チームか迷ったんですけど、強いものへの憧れもありましたし、サントリーが優勝したときの試合も見ていましたので、サントリーに入りました。

◆自己管理という面で自分で決めていった

—— 入ってどうでしたか?

1年目はきつかったですね。仕事するのにもラグビーするにしても、すべてに対してきつかった。ほかの周りの一般社員は、ちゃんと勉強して入ってくる人ばっかりだし、スポーツで入ったから仕事をやっていくうちに差が出るな、それは営業で克服しよう、と思いました。

営業特有の相手とのコミュニケーションの部分で、相手に信頼してもらえることを率先してやるなど、単純かつ自分にできることを考えました。社交的なので、そういうのは苦手ではないんです。ラグビーをやっているってこともあったので、営業先に行くと店長がラグビー好きだという人もいて、ラグビーが強みになったし、話もしやすかったですね。

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—— ラグビーの方は?

ラグビーもきつかったです。コンタクトにしても大学とは違います。質も全然違いましたし、ひとつのプレーに対して細かいところまで追求されます。どっちかというと僕は勢いで高校、大学とやっていたので、しばられるというのではないけど、ストレスを感じました。入った当時95kg体重があったのが、すぐに88kgまで痩せて、いちばんひどい時期でした。

なかなか集中してラグビーができなくて、例えば大学なら昼まで寝て回復して、夕方から練習ということができましたが、サントリーでは朝早く起きて仕事に行って、その疲労感がありながら府中へ来て練習する、そのスイッチの切り替えが上手くいかなかったんです。

—— それをどうやって克服したんでしょう?

克服したというか、できるだけ自己管理という面で、夜は何時までに寝よう、朝は何時に起きよう、朝食はしっかり採ろう、というようなことを自分で決めていって、それがだんだん自然と良い方向になっていったと思います。夏合宿以降の、秋、冬には体ができてきました。そんなに暑くないところで育ったんで、夏とかあまり暑いのには強くないんです。

2年目は、ウエイトやフィットネスで蓄える期間のオフシーズンの入り方が良かったと思います。オープン戦でも怪我なくプレーできて、夏合宿に入りました。調子がいいかなと思った矢先、足首の捻挫をして、練習から離れざるをえなく、それからズルズルとしてしまいました。なかなか合わなくなってきて、体の方が調子が良かったんですが、怪我してチーム練習から離れてズレてきてしまったんです。結果的に1年目も2年目も試合に出ていません。

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◆試合に先発で出たい

—— 3年目の今年の目標は?

もちろん試合に出ることです。できれば先発で出していただいて、怪我を絶対にすることなく、出たら80分間闘い続けたいですね。

—— いままでのラグビー人生で良かったプレーあるいは試合は?

先ず高校3年の花園の県予選決勝で、3トライを連続でしたときですね。自分の力で前に出て、相手からトライを奪えたんです。そして花園に入ってから有賀(剛)が1年で出て来た日川高校と2回戦で当たりました。

日川は東日本のチャンピオンチームで前評判が高くて、僕らは周りから負けると言われてたんです。結果、競り勝てたこと、そこに自分がプレーヤーとして出れていたこと、そういう点でこの試合も良かったと思います。

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それから栗原さん(徹)とかがいた慶応大学戦に、大学1年のとき初めて先発で出たときです。自分が強さを鍛えてきた点が、結果プレーとして出せました。大学3年のときの大学選手権ベスト4での関東学院戦は、初めての国立競技場でのプレーでした。最初、観衆が多くて圧倒されつつも、心地よかったですね。

プレーも観衆が見ているので、普段やらないようなプレーをしていました。それがいい結果に繋がって、試合には負けたけど、自分では満足するプレーができました。

—— 大舞台に強いタイプでしょうか

緊張はしているけど、ふだん出せないパワーが出せるんです。大舞台に強いかどうかは、その辺よくわからないですけど。

—— 今シーズン試合に出るためのポイントは?

この前のオープン戦のリコー戦で見せた、前に出るところ、積極的に前に出るところだと思います。自分の得意とするプレー、いちばん強さを出さなきゃいけないプレーを80分間出す。僕には小難しい小手先のプレーを求められていなくて、シンプルに単純に、バーンと当たって行って前へ出て、結果トライへ導くプレーだったらいいんだと思います。

自信はあります。春から違ったポジションだけれど、出させていただいて悪いときもあれば、いいときもありますが、手応えを感じている点があるので、それを夏合宿からまたアピールして、秋のトップリーグに出るためのステップとして繋げていけたらと思っています。

(インタビュー&構成:針谷和昌)

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